軍艦島の心霊スポットは?幽霊が出る噂や心霊写真も?歴史についても紹介
軍艦島は長崎県にあるかつて炭鉱で栄えた島です。現在は無人島となっていますが、その昔は東京よりも人口密度が高い島でした。今は無人島というだけあって軍艦島を心霊スポットと思っている人も多々います。軍艦島の心霊情報についてチェックしていきましょう。
目次
軍艦島は心霊スポット?怖い噂は本当?
軍艦島は、明治から昭和にかけて炭鉱で栄えたものの、昭和49年に閉山になったことにより人口が離れていき、現在は無人島になっています。
しかし、軍艦島ツアーなどで立ち入り禁止区域はあるものの、軍艦島に行くことはできます。また、世界遺産にも登録されているとても貴重な島でもあります。
今回は、軍艦島が心霊スポットと言われている理由などについて紹介します。本当に軍艦島は心霊スポットなのでしょうか?幽霊は出るのでしょうか。
そもそも軍艦島とは?
軍艦島は、1800年代に石炭が発掘されその後、三菱が軍艦島を買い取って石炭を発掘しはじめたことにより、労働者やその家族などがこの島に住むことになりました。
当時の人口密度は東京都よりも多かっただけではなく、なんと世界一とまで言われたほどです。軍艦島は炭鉱の島のイメージがとても強いですが、この島にはしっかりと学校があったり病院や寺院、神社、理髪店なども立ち並んでいました。
軍艦島は、炭鉱で発展した島でありながら、労働者家族が仲良く過ごした島でもあるのです。その姿が令和になった今の時代でも見ることができるため、歴史を感じられる魅力を持っています。
軍艦島の正式名称は「端島」
軍艦島の正式名称は「端島」です。「端島炭鉱」と呼ぶ人もいるでしょう。炭鉱のために周囲を埋め立てて作った人工島でもあります。
端島がなぜ軍艦島と呼ばれているのかというと、島の形が日本海軍の「土佐」に似ていたためです。
軍艦島は現在、観光で訪れることができます。是非、軍艦島を訪れるツアーに参加してみませんか?ただし、心霊スポットとしても知られているのでそれなりの覚悟も必要です。
場所 | 長崎県長崎市高島町端島 |
アクセス | 長崎駅から常盤ターミナルまで行き船に乗る |
危険度 | ★★★ |
軍艦島の歴史
軍艦島の心霊情報について知る前に、歴史をチェックしておきましょう。軍艦島の歴史は、戦争敗戦国である日本が先進国の仲間入りをした事実を支えた部分もあります。
軍艦島の歴史を知ることは、日本の歴史を知り、日本人の偉大さを知ることにもなるでしょう。
江戸時代後期に石炭を発見
軍艦島は、明治時代から昭和時代にかけて栄えていますが、実は石炭が発見されたのは江戸時代です。江戸時代に発見されてから、発掘をした業者もいましたが、長くは続きませんでした。
その理由の1つが台風などの自然災害です。台風に打ち勝つための堅杭ができたのが明治時代でした。それでも、大きな台風が訪れたときには、島全体にもそれなりの被害があったはずです。
そう考えると、軍艦島は自然環境からは厳しさを与えられた島でもあったのです。そんな場所だからこそ炭鉱に向いていた可能性もありますが、そこが栄えたというのはやはりすごいことでしょう。
海底炭鉱として採掘を本格化
1810年頃に石炭が発見されたものの、採掘が本格化されたのは1890年代です。三菱社が権利を買い取り、そこからずっと軍艦島は三菱社が所有しています。その後、より採掘しやすい環境を整えました。
また、住居や学校、病院などの施設も完備し、軍艦島に住む人々はとても裕福な暮らしをしていました。東京にいる人々に比べても、最先端かつ裕福な暮らしをしていたと言われています。
本格化した石炭の採掘により、人手も必要になります。その後、軍艦島には多くの人々が労働でやってきて、島民になっていきました。
1960年には東京の9倍の人口密度に
人口が多かったことをここまでにお伝えしていますが、人口密度で考えると1960年には東京の約9倍にもなっていました。人口総数は約5200人です。
人口だけで見ると、そんなに多くないように見えますが、島の面積から考えると、とんでもない人口の多さということが分かります。それだけ、軍艦島は栄えたのです。
あまり大きくない軍艦島に、これだけの人口がいるということに加え、島の人々の暮らしが安定していたことを考えると、労働力がいくらあっても足りないと感じるぐらいピーク時は忙しかったことでしょう。
主要エネルギーの移行により閉山
軍艦島は、あれだけ栄えたにも関わらず、1974年1月に閉山しました。閉山の理由は、主要エネルギーが変わったことです。
これまでは石炭が主要エネルギーで日本経済を支えましたが、その後は石油に主要エネルギーが変わったのです。石油は現在でも世界中で主要なエネルギーとして重宝されています。
2015年世界遺産に登録
2015年には軍艦島が世界遺産に登録されています。軍艦島は、当時の人々の暮らしがそのまま残っているため、訪れると歴史を深く感じることができるでしょう。
軍艦島が当時と変わったのは人口がいなくなったことだけであり、街並みなどはほぼそのままと言われています。こんなにも、炭鉱で栄えた場所が綺麗に残っているというのは珍しいのではないでしょうか。
世界遺産として登録されたことは、当時の人にとっても誇らしいことでしょう。韓国では、歴史的背景により、世界遺産登録に反対の声があったのも事実です。
軍艦島の特徴
今の時代に生まれた人にとっては、軍艦島のような島があることに不思議な気持ちになることでしょう。軍艦島とは一体どんな島なのか、いまいち掴むこともできない可能性もあります。
軍艦島について、より深く知るために、軍艦島の特徴をチェックしましょう。軍艦島ツアーに訪れたいと考えている人も、先に特徴を知ることでより軍艦島を楽しむことができるはずです。
日本で最も古い鉄筋コンクリートアパート
軍艦島には、大正5年に建てられた鉄筋コンクリートのアパートがあります。今でこそ、鉄筋コンクリートは珍しくありませんが、当時は非常に珍しい建物でした。
この鉄筋コンクリートのアパートは、現在も建ち続けています。台風などで島に大雨や強風が吹こうとも崩れずに建ち続けているので、当時から日本の技術の高さがいかに素晴らしいものなのかが分かるでしょう。
もちろん、台風被害などで崩壊している建物もあります。しかし、残っている建物もあることは技術が高いことの証明でもあるのです。軍艦島は狭い島に人が多かったので、強い建物で上に大きく建てなければ人が住む場所を確保できなかったとも言われています。
アパートの屋上で花や野菜を育てる
軍艦島のアパートの上には、屋上庭園がありました。なぜ屋上に作ったのでしょうか。軍艦島は人工島であり、実は緑などの自然が極端に少ない傾向にあったのです。
そこで、当時住んでいた人々がアパートの屋上を使って庭園にし、野菜や花などを育てていたのです。画期的なアイディアで、軍艦島の癒しを屋上に作り出したのです。
屋上庭園は、都会で現在注目されているものでもあるので、軍艦島はやはり最先端の島だったというのが今でも伝わってくるものです。
移住者は皆裕福な暮らし
軍艦島に住む人々はとても裕福な暮らしをしていました。高層マンションがあり、カラーテレビの普及率はなんと100%であり、家電も揃っているというのが普通だったのです。
管轄が三菱ということもあり、三菱の社員による食料の持ち込みによって開かれたマーケットもあれば、子育てに困らない幼稚園や小学校などもありました。
マーケットで買うものは物価が安く、その上、軍艦島で働く人のお給料は高かったために、当時の日本の中でも極めて裕福な人々が多かったということができるでしょう。
幽霊が出る?軍艦島での心霊現象
軍艦島の歴史もとても気になりますが、もう一つ気になるのが軍艦島の心霊情報です。軍艦島と聞くと、「心霊スポット」と思う人も多いでしょう。
実際に軍艦島は心霊スポットなのか、本当に心霊現象が起きているのかについて紹介します。無人島であり、廃墟が多いとなると確かに幽霊がいそうだとも思ってしまうものです。
軍艦島ツアーで撮った心霊写真
軍艦島での心霊情報には、撮った写真が心霊写真だったというものです。心霊写真が撮れたという人は意外と多いのではないでしょうか。
他にも、軍艦島は無人島なのに島の建物の中から人の声が聞こえたという心霊現象を体験した人もいると言われています。心霊写真が撮れた人が多いために、心霊写真を撮りたくて軍艦島に行く人もいるでしょう。
しかし、毎回心霊写真が撮れるわけではありません。面白がっていくと怖い心霊現象が起きる可能性もあるので注意してください。キャンプ中に1人いなくなったという情報もあるのです。
子供の姿や子供の声が聞こえる
軍艦島に行くと、当時の子供の姿や子供の声が聞こえるという人もいます。これも心霊現象の1つではないでしょうか。子供の幽霊がいる可能性があります。
また、写真を撮ると、後ろには誰もいなかったはずなのに、肩の部分に子供の手のようなものが写りこんだという心霊現象を体験した人もいます。
軍艦島には、当時子供も多く住んでいました。小学校や幼稚園もあります。当時の思い出を持った子供の霊がいる可能性も否めないでしょう。
ストリートビューに写った手
ストリートビューは、その場所に行ったような気分になれるほど、とても鮮明に景色や建物が映し出されるという特徴があります。実は、このストリートビューで軍艦島を見ると人の手があったという心霊現象なものを体験した人がいます。
確かに、その写真を見ると、はっきりと人の手が映し出されているのが分かります。軍艦島全体をストリートビューで見ていると、なんとなく何か出そうな気分になりますが、この写真を見ると、やはり心霊スポットなんだと確信してしまうものでしょう。
ただ、この手はストリートビューを作るために撮影した撮影者の手ではないかとも言われています。しかし、こんなにも心霊写真っぽく写りこむことがあるなんて不思議な現象でもあります。
心霊現象の原因?軍艦島にまつわる噂
軍艦島には、心霊現象が起きているとか、確実に幽霊がいるという情報もありますが、このような噂が立つのは何故でしょうか。軍艦島は栄えた島であり、人々も裕福な暮らしをしたはずです。
島に怨みがあるようには歴史上では思えませんが、実は怨みを持った幽霊がいてもおかしくない噂もあるのです。
軍艦島は強制労働施設でもあった?
軍艦島では、韓国人や朝鮮人が日本軍の人から連れていかれ強制的に労働をさせられていたという噂があります。そのときの怨みから、幽霊となって現在現れているのではないかと憶測されることもあるのです。
強制労働の過酷さから、逃げ出すために海に飛び込んで命を亡くした人もいると言われています。しかし、実際に住んでいた島の人の話では、強制労働の事実はなかったとされています。
朝鮮人も中国人も日本人も同じように働き、子供は同じように学んだというのが事実と言われているのです。そのため、過酷な労働を恨んでいる幽霊が実際にいるのかというのは定かではありません。
脱出に失敗し拷問を受けた人も?
強制労働が行われていたために、そこから脱出して違う島を目指した人々もいました。しかし、途中で力尽き果ててしまって捕まったり、辿りついた島で捕まった人もいます。
脱出に失敗した人々は、激しい拷問を受けました。ゴムチューブのようなもので体を何度も何度も叩かれたというのです。これらの拷問を受けた人々の怨みが幽霊となって今もなお軍艦島に住みついている可能性もあるでしょう。
なぜ、強制労働はなかったという主張があるのに対し、強制労働のせいで脱出した人がいたという情報があるのでしょうか。これは、日本側と韓国側による主張の違いからきています。
過酷な労働に耐えきれず自殺する人もいた?
軍艦島での労働が過酷すぎて、時には自殺する人もいたと言われています。仕事のせいで自殺者が1人もいなかったとは言い切れない部分もあるでしょう。
そのため、自殺者がいたというのは完全に否定することができるものではありません。万が一、自殺者が本当にいたとしたら、無念の思いを持った幽霊がこの場所にいたとしてもおかしくないのです。
確かに、今では考えられないような暴力もあったのも事実でしょう。ただ、それは日本人に対しても行われていたものとのことです。これらの暴力に耐えられない人が自殺した可能性もあるでしょう。
軍艦島の心霊スポットには幽霊の出現率が高い
軍艦島の心霊情報を見ていると、確かに心霊写真などが多々撮られているイメージがあります。そのため、幽霊が出没する可能性も高いということもできるでしょう。歴史があるだけに、幽霊がいてもおかしくはありません。
かつては、閉山になった後、立ち入り禁止になっていた軍艦島です。異様な雰囲気をまとっていたのも事実でしょう。ただ、現在はツアーで訪れることができるようにもなりました。
あまり心霊写真や心霊現象を意識しすぎると、よくない幽霊をおびき寄せてしまうこともあるので、軍艦島の歴史を知るために訪れる目的で行動することをおすすめします。