セントラリア(ペンシルベニア)は地下坑内で炭鉱火災が現在も続いている?
アメリカ・ペンシルベニア州の「セントラリア」は、1962年から現在まで地下坑内で炭鉱火災が続いている町として有名です。この記事では、なぜセントラリアの炭鉱火災が始まってしまったのか、セントラリアのように燃え続けている場所について紹介します。
目次
アメリカ・ペンシルベニア州の「セントラリア」について紹介!
アメリカ・ペンシルベニア州の「セントラリア」は住民が街を去ってしまったゴーストタウンとして有名です。セントラリアでは、今だに地下坑内で炭鉱火災が続いていると言われています。
この記事では、なぜ炭鉱火災が発生したかなどを説明していきます。
セントラリアの歴史
セントラリアは、1776年にアメリカが独立する前に白人からインディアンに売られた場所になります。アメリカ独立の直後からセントラリアやその周辺の地域には炭田があることがわかっていました。
ただ、土地の所有者が転々としていたためたこともあり、炭田の採掘が始まったのはかなり後になります。
1854年に、鉱山技師のアレキサンダー・W・レアが炭鉱と街を開発し、その後鉄道も通ったため鉱山が開業しました。石炭を輸送するためには鉄道が必要なので、炭田の採掘のためには鉄道は重要な意味を持ちます。
セントラリアに一番人が住んでいた時期は1890年で、この時には2761人が住んでいました。
セントラリアの地下坑内で炭鉱火災は現在も続いている?
セントラリアの地下坑内では、炭鉱火災が現在も続いていると言われています。ここからは、どのようにセントラリアの地下坑内の炭鉱火災が始まってしまったのかチェックして行きましょう。
火災が始まったのはいつから?
セントラリアの地下坑内で炭鉱火災が始まったのは、1962年5月です。
火災が始まった原因
セントラリアの地下坑内で炭鉱火災が始まった明確な原因はいまだに分かっていません。
一番有力とされている説は、「1962年5月27日に清掃を行っていたボランティアの消防士が、ゴミを燃やしてしまったことがきっかけで地下坑内で炭鉱に引火した」というものでした。
火災の範囲
セントラリアの地下坑内での火災は、発生から50年たった今でも燃え続けています。火災で延焼した範囲は、およそ160ヘクタールにおよんでいるようです。
火災の範囲はセントラリアの境界を超えてしまっていて、場所によっては地下100メートルほどに達しているとも考えられています。
火災が鎮火する目処は?
火災が鎮火する目処はまったく立っておらず、セントラリアの地下坑内での炭鉱火災は鎮火することなく、今後数百年は燃え続けるだろうという見方もあるようです。
そもそも、セントラリアの地下坑内で炭鉱火災は初動がまずかったという指摘もあります。なぜ炭鉱火災が発生したのかが分かっていなかったため、どのように対応すれば良いのかも分からなかったようです。
地上の火事とは違って目に見える害が分からなかったため対応が遅れたようですが、その後、地下を採掘して鎮火を試みたところ「鎮火スピードよりも火が広がっていく速度の方が早い」ということが分かり鎮火が不可能ということが分かりました。
さらに、セントラリアの地下坑内での炭鉱火災が起きた1962年は、とても寒さの厳しい冬でした。そのため、鎮火のための水として使う予定だった川が凍ってしまっていたのも障害となってしまったようです。
炭鉱火災が起きた翌年の1963年には、人為的鎮火は不可能と正式に判断されたため自然鎮火を待つことになり、現在まで燃え続けています。
セントラリアはゴーストタウン化
実は、セントラリアで地下坑内での炭鉱火災が起きた後も、その後10年ほどは人が住み続けていました。セントラリアがゴーストタウン化するまでに何があったのかを説明していきます。
1980年代に退去命令
1962年にセントラリアの地下坑内で炭鉱火災が起きましたが、その後もセントラリアに住み続ける人は大勢いました。
ただ、 地下水が失われたことで地盤沈下が始まったため、至る所で道路に亀裂が入るようになりました。それだけでなく、一酸化炭素や二酸化炭素の濃度が上昇し、1980年頃になると地下から一酸化炭素を含む煙が吹き出すようになったのです。
これによって、多くの住民が健康被害を訴えるようになりました。
そのため、やはりセントラリアの地下坑内の火災を消化・鎮火すべきだという声が上がるようになります。しかし、鎮火には莫大な費用が必要になる上、技術面の課題が多いため費用をかけても鎮火できない可能性が高いことが話し合われました。
この間にも健康被害を訴える住民が大勢いたため、 1984年から自治体主導で町の移転が始まりました。
その後、連邦政府は正式に消化・鎮火活動を断念したことを発表し、1980年代にセントラリアの住民に退去命令が出ました。セントラリア住民には立ち退き料が支払われて、セントラリアを去ったのです。
郵便番号が抹消される
2002年には郵便公社によって、セントラリア地域のZIPコード(日本でいう郵便番号)が抹消されました。
現在セントラリアに住んでいる人はいる?
退去命令が出たセントラリアですが、現在もセントラリアに住み続けている人がいます。2010年に行われたアメリカの国勢調査では、セントラリアの住民は10人、2017年には8人が住んでいるとのことでした。
州政府とセントラリアは、「住民が生きているかぎり土地や建物の使用権を持ち続ける」という合意書を結んでいるようですが、120日の間町にいなかった場合にはその権利は失効します。
セントラリアには、町のシンボルである庁舎の建物も保存されているとのことでした。
2002年にはセントラリアの郵便番号も抹消されてしまいましたが、セントラリアに住んでいる人は3キロほど離れた町・アシュランドの郵便局を使用しています。
ゲーム・映画「サイレントヒル」のモデル?
1999年にコナミから発売された、ホラーアドベンチャーゲーム「サイレントヒル」は
セントラリアをモデルにして作成されたと言われています。
「サイレントヒル」はゲームが大ヒットしたことで、2006年には映画化もされ大きな話題となりました。「サイレントヒル」ではアメリカ北東部に位置している架空の田舎町が舞台になっています。
ゲームの「サイレントヒル」は、小説家であるスティーブン・キングの「霧」からインスピレーションを受けて作られたと言われていますが、セントラリアノジケンも影響したのではと見る方は多いです。
「サイレントヒル」の中に出てくる教会は、セントラリアの山の中腹にあって、現在も使用されている最後の教会がモデルだと指摘する方もいます。
こうしたことから、セントラリアのことは「リアル・サイレントヒル」と呼ぶ方も多いようです。
セントラリア以外にも!現在も燃え続けている場所
実は、セントラリア以外にもずっと燃え続けている場所があります。現在も燃え続けている場所を4つチェックしていきましょう。
インドの「ジャリア地区」
インド北東部にあるビハール州のジャリア地区では、1916年頃からずっと炭鉱火災が続いています。最初に報告された火災が1916年というだけなので、実際はもっと前から炭鉱火災があったのかもしれません。
ジャリア地区には2012年の時点で9万人の人々が住んでいるため、移住するとなるとセントラリアと比べて90倍の規模になります。
火災を鎮火し住民を移住するとなると、1200億円以上かかってしまうため、調査した人が「セントラリアとは比べ物にならない」と発言したことでも話題になりました。
2012年の時点では1150世帯が移住したと報道されていますが、その他の多くの住民は貧困のため移住することが難しいため、拾い集めた石炭や不法採掘によって生計を立てているとのことでした。
トルクメニスタンの「タルヴァザ地獄の門」
トルクメニスタンのアハル州ダルヴァザ村にあるクレーターは、「タルヴァザ地獄の門」と言われています。「タルヴァザ地獄の門」は広大な砂漠の中にある不気味な穴で、40年以上ずっと燃えているのです。
「タルヴァザ地獄の門」は、偶然できてしまった大きな穴です。1971年に地質学者がボーリング調査をした際、天然ガスに満ちた洞窟を発見したのですが、調査過程で落盤事故が起きてしまい直径100メートルにもなる穴が開きました。
この直径100メートルにもなる穴からは有毒ガスが噴出してしまうため、放出を食い止める応急処置として火をつけて燃焼させることにしたのです。しかし、この有毒ガスは絶える事無く出続けるため、1971年から現在までずっと燃え続けています。
この天然ガスの燃焼や有毒ガスの噴出を食い止めることは、現在の技術を以ってしてもできないと言われているため、今後もずっと燃え続けるという見方が強いです。
そもそも、「タルヴァザ地獄の門」の地下に埋まっていた天然ガスの量自体が不明なので、あとどれくらい燃え続けるのかもよく分かっていません。
ドイツの「ブレンネンダー・ベルク」
ドイツの「ブレンネンダー・ベルク」は1688年に炭層火災が発生して、現在もくすぶり続けている渓谷です。「ブレンネンダー・ベルク」を和訳すると、「燃える山」となります。
火災が起きた原因は正確には分かっていないですが、圧力と分解作用によって自然発火が起きたと考えられているようです。伝承では、「羊飼いが木の切り株に火をつけたことが原因で、根まで延焼して地下の炭層にまで達した」と言われています。
一度、水で消化をしようとしたこともありましたが、失敗に終わりました。
現在では、炎を吹き出したりすることはなく危険は少ないですが、赤熱が発生しています。現在でも天候によって煙が見られていて、1つの岩の割れ目から温風が吹き出すため観光名所の1つになっているようです。
遠足や修学旅行でも、多くの人が訪れる観光スポットになります。
オーストラリアの「ウィンジェン山」
オーストラリアの「ウィンジェン山」は、正式名称を「バーニングマウンテン」といって「燃える山」との名前通り、5000年以上燃え続けています。
ウィンジェン山は5000~6000年ほど前に、炭層に雷が落ちたことが原因で燃えだしたと伝えられています。実際に、ウィンジェン山には石炭でできた層があって、その石炭の層で火災が起きているようです。
地球上で火災が続いている場所をこの記事でいくつか紹介してきましたが、6000年前から火災が続いているウィンジェン山が最古の炎だと言われています。
ウィンジェン山は、シドニーから北およそ220kmの位置にあり、現在では観光地になっていて大勢の観光客が訪れる名所の1つです。
セントラリア以外の燃え続けている場所は観光名所も!
セントラリアでの地下坑内の炭鉱火災について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?セントラリアは1980年代に退去命令が出ましたが、2017年にも8人が住んでいることが確認されています。
セントラリアの地下坑内で炭鉱火災が始まったのは、1962年5月と言われていて、燃えた理由として有力な説は「清掃を行っていたボランティアの消防士が、ゴミを燃やしてしまったことがきっかけで地下坑内で炭鉱に引火した」というものです。
1962年から現在まで、セントラリアの炭鉱はずっと燃え続けていて、火災の範囲はセントラリを超えています。現在も鎮火のめどは立っていません。
セントラリア以外にも、地球上には燃え続けている地域があります。それが、インドの「ジャリア地区」、トルクメニスタンの「タルヴァザ地獄の門」、ドイツの「ブレンネンダー・ベルク」、オーストラリアの「ウィンジェン山」です。
インドのジャリア地区は、2012年の時点で9万人の人々が住んでいるため、移住計画もセントラリアの90倍の規模になります。そのため、ジャリア地区の現状を調査した人は、「セントラリアとは比べ物にならない」とも発言しています。
ドイツの「ブレンネンダー・ベルク」は和訳すると「燃える山」となって、その名の通り1688年に炭層火災が発生してから現在までずっとくすぶり続けている渓谷です。
ただ、現在では危険が少なくなったため観光名所の1つになっていて、遠足や修学旅行などで多くの人が訪れています。
燃え続けている場所と聞くと、セントラリアのように退去命令が出るようなイメージがありますが、ドイツの「ブレンネンダー・ベルク」のように観光名所になるところもあります。興味がある方は、行ってみてはどうでしょうか。