十字架の丘はリトアニアの世界遺産!アクセス方法や見どころを紹介
十字架の丘はリトアニアの世界遺産です。この記事では、十字架の丘へのアクセス方法や十字架の丘の見どころを紹介していきます。十字架の丘は、なんどもロシア・ソ連によって脅かされてきた場所になります。ぜひ、十字架の丘の歴史を知ってください。
目次
リトアニアの世界遺産「十字架の丘」について紹介!
バルト三国のなかで一番南に位置するリトアニアには「十字架の丘」があります。リトアニアの「十字架の丘」には、50000以上の十字架が丘の上に立っています。
一度でも、おびただしいほどの十字架を見たら絶対に忘れられなくなるという「十字架の丘」について、この記事では詳しく紹介していきます
十字架の丘ってどんなところ?
ここからは、十字架の丘がどんなところなのかについて詳しく説明していきます。
十字架の丘の歴史
1795年に、第3次ポーランド分割が起き、リトアニアはロシア帝国の領土下に置かれることとなりました。
この時期から、リトアニアのカトリック信仰は脅威にさらされることになりますが、ポーランド人とリトアニア人は結託してロシアに対抗して蜂起を起こします。その蜂起が、1831年の11月蜂起と1863年の1月蜂起です。
しかし、これら2つの蜂起はいずれも失敗に終わってしまいました。この失敗に終わった2つの蜂起が「十字架の丘」の始まりに関係しています。反乱兵の家族は、「反乱兵の遺体のかわり」として十字架を現在の「十字架の丘」に建てました。
そして、1918年にリトアニアはついに独立を回復しました。独立した際には、「十字架の丘」はリトアニア人たちが平和を祈る場所、独立戦争で亡くなった者たちのために祈る場所となっていきました。
しかし、その後リトアニアは、またソ連の統治下となってしまいます。リトアニアがソ連の統治下似合った期間は1944〜1990年のことです。リトアニア人たちは、この時期も「十字架の丘」へ行き、十字架を捧げました。
リトアニア人たちは、「十字架の丘」へ行き祈りを捧げることで、ソ連の宗教や遺産への忠誠心を示していたのです。しかし、ソ連は違いました。3度もブルドーザーによって、「十字架の丘」の十字架を撤去しようとしたのです。
ソ連側がムーシャ川の支流・クルヴェ川の近くにダムを建設するために、「十字架の丘」は水の中に沈んでしまうという噂が大々的に流れたこともありました。
しかし、1993年9月7日に教皇ヨハネ・パウロ2世が「十字架の丘」を訪れます。ヨハネパウロ2世は、「十字架の丘」が希望・平和・愛・犠牲者のための場所であると発言したのです。
2000年には、フランシスコ会の修道院が「十字架の丘」の近くに完成しました。
内部の装飾は、フランシスコの身体に聖痕が現れたとされるトスカーナのラ・ヴェルナのものと関連していますが、「十字架の丘」はいまだにいずれの管轄にも属していません。
そのためどんな宗教を信仰している人でも、誰でも自由に出入りして十字架を建てることができます。
十字架の丘へのアクセス方法
ここからは、十字架の丘へのアクセス方法について紹介していきます。
バスでの行き方
十字架の丘はバスで行くのが便利です。バスでの行き方は、リトアニア第四の都市・シャウレイから「十字架の丘」へと向かうことになります。
十字架の丘はシャウレイから約10キロ離れています。十字架の丘の周辺には駅がないため電車で行くことはできず、交通手段としてはバス・タクシーになります。
しかし、バス停から十字架の丘までは20分ほど歩くことになるので、20分も歩きたくないという方はタクシーで行くことをおすすめします。ただ、バスの方が料金は安く、乗り方もそこまで難しくないのでバスでの行き方もおすすめです。
「十字架の丘」までバスで行く場合、シャウレイの「オートバスステーション」がバスの出発地になっています。「オートバスステーション」は長距離バスなども発着するようなところです。
シャウレイの電車の駅から「オートバスステーション」まで歩いて10分ほどつきます。「オートバスステーション」の周りにはショッピングモールやスーパがあり、隣接しています。
「オートバスステーション」についたのであれば、窓口でバスの時刻表をもらっておくことをおすすめします。
窓口のスタッフは英語が話せないことが多く、あたふたしてしまうかもしれませんが落ち着いて「クロスヒル(十字架の丘のこと)」と言いましょう。
クロスヒル(十字架の丘)までのバスは、だいたい1時間に1本走っています。時刻表はシャウレイの宿泊施設に置いてあることも多いので、シャウレイに滞在する場合はホテルのスタッフなどに聞いてみると良いでしょう。
ちなみに、降りるバス停は「ドマンタイ」という名前です。
帰りのバスに乗るときの注意点
十字架の丘のバス停「ドマンタイ」から帰りのバスに乗る際の注意点ですが、たまに書いてある時刻から早くバスが来てしまって乗れないということがあるので気をつけてください。
早くバスが来た場合は、日本では基本的に予定の出発時刻まで待ってくれますが、海外では待ってくれないことがほとんどです。また、帰りのドマンタイのバス停は、道を挟んだ反対側にあるので注意してください。これは日本と同じです。
帰りのバスを逃してしまうと、1時間待たなければいけないことがほとんどなので、注意してください。
ちなみに、タクシーで十字架の丘まで来て、タクシーで帰る予定の方は帰りもそのタクシーの運転手さんに待ってもらうことをおすすめします。バス停「ドマンタイ」付近でタクシーを拾うのは難しいでしょう。
タクシーの運転手さんにうまく言葉が伝わらずに無理そうという場合は、バスで帰るようにしてください。
十字架の丘の見どころ
十字架の丘の見どころは、なんといっても十字架丘にある無数の十字架です。ここからは、十字架丘にある無数の十字架について詳しく説明していきます。
十字架の丘にある無数の十字架
十字架の丘にある無数の十字架は、増減を繰り返していたことがわかっています。
1900年には130の十字架がありました。1902年にはその十字架の数が155になり、その後1922年には50へと減ってしまっています。その後、日本が日中戦争を始めた頃の1938年には400へと十字架の数を増やしました。
1961年には5000以上の十字架がありましたが、ソ連によって破壊されています。リトアニアの人々はそれでも十字架を捧げて来ましたが、1975年にはまたしてもソ連に1200以上の十字架が破壊されました。
1990年の時点で、55000以上の十字架が十字架の丘にあるとされていました。現在は、もっと多くの十字架が捧げられているので、リトアニアの十字架の丘へ行くととんでもない無数の十字架を見ることができます。
購入した十字架を十字架の丘に捧げられる!
この記事でも説明しましたが、「十字架の丘」はいまだにいずれの管轄にも属していません。そのため、どんな宗教を信仰している人でも、誰でも自由に出入りすることができ、購入した十字架を「十字架の丘」に捧げることができます。
「十字架の丘」で捧げる十字架を販売しているのは近くにあるお土産屋さんです。このお土産屋さんでは、十字架だけでなくロザリオなどを購入することができます。もちろん、購入したものはお土産として持ち帰ることもできます。
ほとんどの方は、十字架・ロザリオを「十字架の丘」へと捧げて帰るので、ぜひ「十字架の丘」を観光した際には十字架を丘に捧げてみてください。
十字架の丘を観光して十字架を捧げよう!
リトアニアの観光名所・十字架の丘について詳しく説明してきましたが、いかがだったでしょうか。十字架の丘は、ロシアに対抗してリトアニア人が蜂起を起こし、敗れてしまった際に反乱軍の家族が「反乱軍の遺体のかわり」に十字架を捧げたことがきっかけで始まりました。
しかし、リトアニアの人々はソ連のブルドーザーによる破壊にもめげずに、ずっと十字架の丘に十字架を捧げてきました。
十字架の丘は現在でも、どの期間にも属していないので、どんな宗教を信仰している人でも誰でも自由に出入りすることが許されていて、購入した十字架を十字架の丘に捧げることができます。ぜひ、十字架の丘に十字架を捧げてみてください。