サラエヴォはボスニア・ヘルツェゴビナの首都!国内の紛争などを紹介
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の激戦地となった首都サラエヴォ。第一次大戦のきっかけとなった「サラエヴォ事件」や、旧ユーゴスラビア時代に開かれたサラエヴォオリンピックなどでも有名です。複雑な歴史を持つボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォについてご紹介します。
目次
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォは多種多様な文化がある街!
古くはローマ帝国、中世にはオスマン帝国、近代ではオーストリア・ハンガリー帝国の支配を受け、第二次大戦後は社会主義国となり、ユーゴスラビア連邦の構成共和国であったボスニア・ヘルツェゴビナ。現在は、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の連邦国家です。
長い歴史の中で幾多の民族の支配を受けてきたボスニア・ヘルツェゴビナは、さまざまな宗教、民族の影響を、ときには受け入れ、ときには拒み、独特の文化を育んできました。
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォには、その足跡が色濃く残ります。多彩な文化、伝統が複雑に絡み合い、共存するサラエヴォは、ミステリアスでエキゾティックな、魅力あふれる街です。
サラエヴォのボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争とは?
サラエヴォ、またはボスニア・ヘルツェゴビナと聞いて、真っ先に頭に浮かぶのは、多くの悲劇を生んだ「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」ではないでしょうか。連日の激しい戦闘の様子が、世界中に配信されました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ、とくにサラエヴォには、セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人など多民族が共存しており、宗教も、正教徒、カトリック、イスラムと複雑に絡み合い、民族間で対立することも少なくありませんでした。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争も、民族対立がきっかけです。人類の歴史の汚点ともいえるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。何が起こったのか、どんな結果を生んだのかを振り返ってみましょう。
多くの一般市民が犠牲になった
1992年、ユーゴスラビア連邦からの独立を巡って勃発した民族紛争は、一般市民をも巻き込み、NATOによる空爆が行われるほど激化。1995年に、国際連合の調停で和平協定「デイトン合意」に調印されるまで続きました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、首都サラエヴォは、サルビア人によって包囲され、激しい攻撃にさらされました。そして、街に残されたクロアチア人や、ボシュニャク人、世界各国のジャーナリスト、関係のないその他の人々など、多くの人が命を落としました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で犠牲になった人の数は、20万人にものぼり、200万人を超える避難民、難民を生みました。
1984年には、平和の祭典、オリンピックが開かれたサラエヴォですが、その後に起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争によって街の様子は一変し、戦闘の激しさと悲惨さを今に伝える、痛ましい遺産が、サラエヴォの街のそこここに数多く残っています。
【国内に現在も残る虐殺の様子①】無数の墓標
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の悲劇を今に伝えるのは、圧倒的な数の白い墓標です。見渡す限り一面に広がる無数の墓標の一つ一つに、誰かの大切な人が眠っていると想像すると、気が遠くなります。サラエヴォでは、約1万2000人が命を落とし、そのほとんどが一般市民でした。
内戦当時、サラエヴォはセルビア人武装勢力によって完全に包囲され、墓地に遺体を運ぶこともできませんでした。遺体は、サラエヴォ市内で埋葬するしかなく、それにあてられたのが、サラエヴォ市中心部から少し北に行った先にある、サラエヴォ冬季オリンピックで使用された補助グラウンドなどでした。
平和の祭典で歓声に包まれた場所が、紛争の犠牲者を葬る場所に変わるとは、悲劇以外の何ものでもありません。
住所 | Gradsko groblje Bare, Sarajevo, Bosnia and Herzegovina |
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アクセス | サラエヴォ駅から北へ数km オリンピックスタジアム近く |
【国内に現在も残る虐殺の様子②】虐殺博物館
「人道に対する罪と虐殺に関する博物館(Museum Of Crimes Against Humanity And Genocide 1992-1995)」は、市内にあるビルの2階にある小さな博物館です。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の、民族間の粛清のすさまじさを物語る写真、映像、手記、遺品などが展示されています。
住所 | Muvekita 11/1, Sarajevo 71000 ボスニア・ヘルツェゴビナ |
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電話番号 | +387 62 467 764 |
営業時間・定休日 | 9:00~21:00 |
料金 | 600円くらい(詳細不明) |
アクセス | サラエヴォ市内ラテン橋近く |
第一次世界大戦のきっかけになったサラエヴォ事件!
第一次世界大戦没発のきっかけとして知られる「サラエヴォ事件」。学校で習った人も多いでしょう。1914年、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、サラエヴォを訪問中、ボスニア系セルビア人の青年に銃で撃たれ暗殺された事件です。
犯人のガヴリロ・プリンツィプは、大セルビア主義テロ組織「黒手組」のメンバーで、反オーストリア勢力と連動しており、この事件をきっかけにオーストリア・ハンガリー帝国はセルビア王国に宣戦布告しました。
襲撃現場のラテン橋は、ユーゴスラビア連邦時代には、犯人の名前をとって「プリンツィプ橋」と呼ばれていました。
サラエヴォの多様な文化を感じるスポット!
歩行者天国になってるフェルハディヤ通りを進むと、道路に書かれた「SARAJEVO MEETING OF CULTURES」の文字が目に入ります。E(東)とW(西)を分けるこの表示を1歩踏み越えると、今までとは街の様子ががらりと変わります。
「SARAJEVO MEETING OF CULTURES」は、いわば文化の境界線。サラエヴォの多様さと懐の深さをまざまざと感じられるスポットです。
住所 | Ferhadija 43, Sarajevo 71000 ボスニア・ヘルツェゴビナ |
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アクセス | 「ガジ・フスレヴ・ベグ・モスク」の近く |
【東側】オリエンタルな風景
「SARAJEVO MEETING OF CULTURES」の東側は、オスマン帝国支配時代の影響が色濃く残るオリエンタルムード漂うエリア。当時の建物もたくさんあり、イスラム教の教会であるモスクも多く見られます。
【西側】ヨーロッパ風の風景
一方、「SARAJEVO MEETING OF CULTURES」の西側には、サラエヴォのシンボルともいえるカトリック教会の大聖堂が堂々とそびえ、しゃれたカフェなどもあり、優雅でロマンティックなヨーロッパの街並みが広がっています。
観光も楽しめる!サラエヴォの人気スポット4選!
数々の悲劇にさらされたサラエヴォですが、観光名所もたくさんあります。多民族、多宗教が共存してきたボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボには、狭いエリアに多彩な文化が混在しています。
宗教施設一つとっても、カトリック、東方正教会、ユダヤ教、イスラム教など、さまざまな教会が建ち並び、コスモポリタンな雰囲気に溢れています。見どころ満載のサラエヴォで、ぜひ訪れてほしいおすすめの観光スポットをご紹介します。
①バシチャルシア広場
フェルハディヤ通りを直進したところにるのがバシチャルシァ広場。バシチャルシァ広場にあるオスマン式建築の水飲み場(セビリ)は、サラエヴォきっての観光スポットです。絶好のフォトスポットであり、地元の人の憩いの場でもあります。
サラエヴォでお土産物を探すなら、バシチャルシア広場の周辺に広がる職人街がおすすめです。中近東のバザールを思わせる熱気あふれるエキゾチックなエリアで、伝統的な工芸品や、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を彷彿とさせる銃弾で作られたボールペンやアクセサリーなど、興味深い商品が数多く並んでいます。
バシチャルシア広場周辺には飲食店も多く、トルコ珈琲の専門店や露店が軒を連ね、地元の人や観光客でいつも賑わっています。
住所 | Bascarsija square, Sarajevo, Bosnia and Herzegovina |
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電話番号 | |
営業時間・定休日 | |
料金 | 無料 |
アクセス | 大聖堂前からフェルハディヤ通りを直進 |
②イエスの聖心大聖堂
サラエヴォのシンボルであると同時に、サラエヴォに住むクロアチア人カトリック教徒にとっての精神的支柱、サラエヴォ大聖堂。正式名称「イエスの聖心大聖堂」でボスニア・ヘルツェゴビナで最大のカトリック教会です。
ネオゴシック様式の外観は壮麗で素晴らしく、内部も必見。光が差し込む祭壇は、見ているだけで心が洗われるようです。中央の窓はサラエヴォ県の県旗と県章に、2つの塔はサラエヴォの市旗と市章にデザインされています。
教会の近くには、内戦の悲劇を忘れないようにと、砲弾跡を赤く塗った「サラエヴォの薔薇」があります。
住所 | Trg Fra Grge Martića 2, Sarajevo 71000, Bosnia and Herzegovina |
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電話番号 | +387 33 210-281 |
営業時間・定休日 | |
料金 | 無料 |
アクセス | サラエヴォ旧市街フェルハディヤ通り |
③ガジ・フスレヴ・ベグ・モスク
ボスニア・ヘルツェゴビナで最大のモスク「ガジ・ヒュースレフ・ベイ・モスク」。1532年に建てられ、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でも被害を受けましたが、基本的にオリジナルのまま現存しています。
オスマン様式建築の代表的な建物で、サラエボに住むイスラム教徒はもちろん、観光客にも人気のスポットです。広大な敷地内には様々な施設が点在、いろいろな建物を見ることができる点でも魅力的な観光スポットです。
内部を見学することはできますが、観光客が入場できない時間帯もあるので、注意が必要です。
住所 | Saraci 8, Sarajevo 71000, Bosnia and Herzegovina |
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電話番号 | +387 33 532-144 |
営業時間・定休日 | 9:00~17:00 |
料金 | 無料 |
アクセス | 「SARAJEAVO MEETING OF CULTURES」の東側 |
④ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館
サラエヴォ大学のすぐ近くに位置する「ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館」。館内は、考古学、民族史、自然史、図書館の4つの部門に大きく分かれています。1日で回りきるのが難しいほどの展示量は圧巻です。
美しく手入れされたボタニカルガーデンも観光客に人気です。ぜひ、博物館と併せて鑑賞してみてください。
住所 | Zmaja od Bosne 3, Sarajevo 71000, Bosnia and Herzegovina |
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電話番号 | +387 33 668-027 |
営業時間・定休日 | 火~金10:00~19:00 土日 10:00~14:00 月曜定休 |
料金 | 6マルカ(2020年03月現在1マルカは約61円) |
アクセス | サラエヴォ駅からすぐスナイパー通り沿い |
サラエヴォの内戦がテーマの映画「サラエボの花」も人気
2006年のベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)を受賞した「サラエボの花」は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で起こった悲劇と、それを乗り越える母と娘の葛藤の物語。
目を覆いたくなるような悲惨な出来事の数々に、あらためて暴力に狂った人間の愚かしさと、争いのむなしさを感じ、平和への思いが強くなります。母とは、女性とは、人間とは何かを深く考えさせられる秀作です。
サラエヴォを舞台にした映画には、サラエヴォ事件を題材にした「サラエヴォの銃声」もあります。
サラエヴォへの行き方や治安を紹介!
ヨーロッパの一角にあるボスニア・ヘルツェゴビナ。長く紛争が続いたこともあって、日本人にはあまりなじみのない国かもしれません。デイトン合意から25年。ようやく治安も落ち着きを見せてきたボスニア・ヘルツェゴビナへの行き方や、現在の治安の様子をご紹介します。
【行き方】日本からの直行便はない
日本からボスニア・ヘルツェゴビナへは空路で向かうことになりますが、直行便はありません。日本からはまず近隣国へ飛び、そこから乗り継いでサラエヴォ国際空港を目指すことになります。
就航便は多くはありませんが、そんな中でも便利なのは、トルコ航空、オーストリア航空、ルフトハンザ・ドイツ航空などです。サラエヴォ国際空港は、サラエヴォ市内からタクシーで20分ほどのところにあるので、とても便利です。
【治安】スリ・地雷に注意
紛争のイメージが強いサラエヴォは、治安が悪いと思われがちですが、凶悪犯罪は少なく、ヨーロッパの中では比較的治安は良い方です。もちろん、観光客を狙ったスリや置き引きには十分注意を払う必要がありますが、昼間に観光地を散策する分には何の心配もありません。
しかし、郊外や人気のない場所は地雷が残っている場合があるので迂闊に立ち入らないように気をつけましょう。また、一部にはまだ民族間の軋轢が残っています。首都サラエヴォはそれほど心配はありませんが、地方に行く場合は、十分気をつけてください。
サラエヴォで多様な文化を感じに行こう!
現在のサラエヴォには、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後に産まれた若者たちも大勢住んでいて、かつてのような殺伐とした雰囲気はありません。紛争の傷跡は街のいたるところで目にしますが、悲劇を繰り返さない固い決意のようなものを感じます。
他民族、多宗教が共存するサラエヴォは、ミステリアスなコスモポリス。不思議な魅力に満ちたサラエヴォで、さまざまな文化に触れてみませんか。