アメリカ先住民の現在の生活は?人口や歴史・文化なども紹介
教科書や学校でアメリカ先住民の歴史について学びますが、アメリカ先住民が現在どのような生活をしているのか知っているでしょうか。?この記事では、アメリカ先住民の現在の人口や知られざる生活、詳しい歴史・文化などを紹介しました。
目次
アメリカ先住民について知りたい!
日本人はアメリカ先住民についてあまり詳しく知らないという方が多いですが、アメリカ先住民には悲しい歴史があります。この記事では、アメリカ先住民が辿ってきた歴史について詳しく説明していきます。
現在のアメリカ先住民の生活についても詳しく調べてみました。
アメリカ先住民の現在の生活
まず最初に、アメリカ先住民の現在の生活について見ていきましょう。
インディアン居留地での生活
現在、アメリカ先住民たちは「インディアン居留地」で生活しています。
彼らは、自治警察や軍隊も組織していて、学校にも通っています。現在でも同じ姓を持つもの同士での結婚は厳禁で、族長・親が相談して結婚相手を決めるため、恋愛結婚はないようです。
住居はプレハブ住宅のような感じで、2LDKくらいの広さがあります。アメリカ先住民たちの仕事は、公共事業・民芸品製造・観光業で、そこで現金を得て生活していることがわかっています。
居留地から出ていく人も
アメリカ先住民の中には、居留地から出ていく人もいます。居留地から出ていったアメリカ先住民は、白人社会に出ていって生活します。ただ、こうした人物はあまり多くはないようです。
外部世界・白人社会に出ていくことができないアメリカ先住民の若者は、居留地で生活補助を受けながらガイド・ドライバー・土産売りなどの観光産業の末端を担うか、道路工事などの公共事業で日銭を稼いでいます。
意外に思う方もいるかもしれませんが、アメリカ先住民の若者は肥満体型であることが多いです。
アメリカ先住民の若者は、自分の人生に希望や夢がないため生きる目標がなく、毎日ビールを飲んでテレビを見てポテトチップスを食べるような生活をしているという報道もありました。
特に、アメリカ先住民の男性は酒に溺れがちで、多くがアルコール中毒になってしまったということも言われています。そのため、居留地ではアルコール販売が禁止されているところもあります。
アメリカ先住民の現在における人口は?
アメリカ先住民の現在の人口についても調べてみました。2010年の調査では、約290万人が自分はアメリカインディアン、またはアラスカの先住民と回答しています。
アメリカ先住民の悲しい歴史
ここからは、アメリカ先住民の悲しい歴史について詳しく説明していきます。アメリカ先住民の歴史について、ぜひ知ってください。
①新大陸の発見
大航海時代の1492年、クリストファー・コロンブスがキリスト教世界の白人として初めてアメリカ海域へ到達し、アメリカ大陸(新大陸)に上陸しました。
このときまで、北米大陸には、何千万人から1億人以上の先住民が住んでいたものとされています。
②インディアン絶滅政策
19世紀になると、アメリカのアンドリュー・ジャクソン大統領によって「インディアン絶滅政策」が推進されました。
これは、保留地制度に基づく強制移住に従わないインディアン部族は絶滅させるというもので、インディアン絶滅政策によって多くのインディアン部族が虐殺され絶滅させられました。
③涙の旅路
アメリカ先住民の悲劇は、まだまだ終わりません。チェロキー族の領地で金脈が見つかったのです。当然、白人たちは先住民のチェロキー族に領地を明け渡すように迫ります。
チェロキー族・アメリカ先住民の移住は1838年9月から1839年3月にかけて、行われました。1300キロもの道を真冬に徒歩で移動させられたのです。
チェロキー族に与えられたものは、1人1枚の毛布と途中の食糧調達用に使う1人あたり66ドルのお金でした。しかし、お金を与えられていても、白人の業者は不当に食料の値段を釣り上げたのでお金はすぐになくなってしまいました。
チェロキー族は寒さと飢えによって、次々と病気になり多くの人が死んでしまいました。移動する期間は80日間と決められていたため、病人が出てもそこに留まることはできず、病人は見捨てられてしまったのです。
この1300キロの悲惨な旅路を、涙の旅路と言います。旅路といっても、そこに道があったわけではありません。チェロキー族は原野を踏み分けていっちのです。
涙の旅路によって、チェロキー族の首長だったジョン・ロスの妻も肺炎で死んでしまいました。
④同化政策
同化政策とは、白人たちがインディアン問題・アメリカ先住民問題を処理するために行った政策です。
同化政策によってインディアン・アメリカ先住民の文化や言語を禁止して、キリスト教や英語、さらには西洋文化を強制的に学習させたのです。
また、新生児を取り上げてしまって、実の親を知らされずに白人家庭で育てられるという誘拐のような里親制度もあったとされています。
もちろん、アメリカ先住民たちはこのようなことをされて、平気でいられるはずがありません。自身のアイデンティティを失った若者たちは、お酒に溺れてアルコール依存症になり、ギャンブル依存症にもなりました。
自殺をしてしまったり犯罪をしてしまう若者もいました。同化政策によって学校で部族の言葉を話すことも禁止されました。学校で部族の言葉を話してしまうと、汚い言葉を話したと言われ、白人教師はアメリカ先住民に石鹸で口をゆすがせました。
こうしたこともあり、英語しか話せないアメリカ先住民も多いのです。
アメリカの先住民に関する抗議運動
ここからは、アメリカの先住民に関する講義運動について詳しく紹介していきます。
①アメリカ・インディアン運動
アメリカ・インディアン運動は、アメリカ先住民の権利運動をしている団体です。
アメリカ・インディアン運動は、1968年にデニス・バンクスという人物によって設立された団体です。デニス・バンクスは4歳で家族と引き離されて寄宿学校に入れられて先祖の言語や文化を忘れさせる教育(同化政策)を受けました。
デニス・バンクスは同化政策に抗議するために、アメリカ・インディアン運動を立ち上げました。
デニス・バンクスは、アメリカ先住民への政府の対応と不正義の歴史に抗議して暴動を率いていましたが、2017年10月にミネソタ州ローチェスターのマヨ病院で死亡しました。
②レッド・パワー運動
レッド・パワー運動は、アメリカ国内で起きたインディアンの解放運動のことを言います。レッド・パワー運動を世界に知らしめることになったのは、1969年に起きたアルカトラズ島占拠抗議でしょう。
アルカトラズ島占拠抗議とは、1969年11月からサンフランシスコ湾アルカトラス島に約200人のアメリカ先住民がたてこもってインディアン政策の改善を要求したことを言います。これは、1971年6月まで続きました。
1969年の秋に、サンフランシスコのアメリカ先住民の唯一の集会所である「インディアン・センター」が放火とみられる火災で焼失しました。これによって、サンフランシスコのアメリカ先住民は行き場をなくしたのです。
1969年11月9日、全部族インディアンを名乗る老若男女のアメリカ先住民たち79人が、放置されていたアルカトラズ島に上陸して占拠しました。
アメリカ先住民たちは、1868年に結ばれていたフォートララミー条約を理由にアルカトラズ島を占拠したのです。
フォートララミー条約には「連邦政府の所有する土地のうち放棄された土地や使われていない土地は、その土地の元の所有者であった先住民が取り戻すことができる」という条文があったため、ここはインディアンが取り戻しても良いとしたのです。
そして、一団代表者であるリチャード・オークスとジョン・トラデルは、「この島をインディアン文化センターとする」とする声明を発表し、宣言しました。
この発表に呼応した全米中のアメリカ先住民は、次々とアルカトラズ島に応援上陸しました。10日以内に600人を超えるアメリカ先住民が、アルカトラズ島で生活を始めたのです。
しかし、1970年5月に、州政府は島への電力・水道・電信を止めてしまいました。1970年6月には島の施設が放火されるという事件も発生し、食料供給がなくなったということでアメリカ先住民は立ち退きを始めました。
1971年6月11日に、武装した連邦保安官らは一斉突入を行い、島に残っていた15人のアメリカ先住民は逮捕されました。その後、連邦政府はアメリカ先住民の施設を取り壊しています。
指導者だったリチャード・オークスは、1972年9月20日に白人人種差別論者によって射殺されてしまいました。
③その他の抗議運動
1972年11月にはBIA本部ビル占拠抗議という事件も発生しました。
これは、アメリカインディアン運動が、インディアン部族の生存権と条約遵守を訴えてワシントンD.C.の内務省BIA(インディアン管理局)の本部ビルを占拠して、アメリカ合衆国に宣戦布告したことを言います。
BIA本部ビル占拠抗議では、占拠者に死者は出ず、死者が出なかったことは奇跡に近かったとも言われています。
アメリカ先住民の文化について
ここからは、アメリカ先住民の文化について詳しく説明していきます。
すべてはみんなのもの
現代の私たちは土地を「所有する」という感覚を持っているはずです。ただ、アメリカ先住民には土地や大地を「所有する」という感覚・概念はありませんでした。土地は人間が生き延びるために創造主から与えられたものだったのです。
今でいう、「すべてがみんなのもので神(創造主)のもの」という感覚に近いでしょう。創造主からの贈り物に感謝して、母なる大地を敬ったアメリカ先住民は、創造主から与えられた土地を保護していました。
こうした感覚を持ち、生活していたため、アメリカ先住民は白人たちと対峙した際に、「土地の所有」という意味をわからずに混乱したとされています。
サンダンスの儀式
アメリカ先住民やインディアンの部族たちは、サンダンスの儀式というものをやっています。サンダンスの儀式は、自然復活と和平祈願の最大の儀式です。
サンダンスの儀式は、インディアンの神聖な7つの儀式の中で、最も神聖なものとされていて、かなり過酷で苦行とされています。
サンダンスの儀式では、4日間飲食なしで太陽の出ている間は生命の木と呼ばれるサンダンスツリーを中心に、創造主(ワカンタンカ)に感謝と祈りをあげなら踊り続けるのです。
そして、最終日のサンダンスの儀式の終わりに、長老がサンダンサーの胸か肩にメスを入れます。なんと、そこに木の棒を突き刺しピアッシングして、その棒とサンダンスツリーをロープでつなぎます。
ピアッシングされたサンダンサーは、自らの力で自分の皮を引きちぎるとサンダンスツリーを通してワカンタンカに伝えられた祈りが成就するとされています。文章だけ見ても痛みを感じてしまう方もいるような、過酷で苦痛を伴う儀式です。
サンダンスの儀式は、自分自身を捧げることで自然界と人間とバランスをとって、他者の苦痛を取り除き再生を願うという神聖な儀式になります。
サンダンスの儀式の期間中は、4日間飲食なしと言いましたが、水さえ飲むことはできません。それでいて、朝晩2回はスウェットロッジという儀式を1時間やる必要があります。
スウェットロッジはスチームサウナ状態のところで内省し、祈りや感謝を捧げるというもので、これをサンダンスの儀式中は計8回やる必要があるのです。サンダンスの儀式がいかに過酷なものかが分かります。
アメリカ先住民についてもっと知ろう!
アメリカ先住民の現在の生活や歴史について詳しく説明してきましたが、いかがだったでしょうか。アメリカ先住民は、白人たちに長いこと権利を奪われ、アイデンティティを奪われてきたという悲しい歴史を持ちます。
アメリカ先住民の儀式で最も神聖なものとされているのはサンダンスの儀式ですが、サンダンスの儀式は自分自身を捧げることで自然界と人間とバランスをとって、他者の苦痛を取り除き再生を願うというものです。
アメリカ先住民は、土地や大地を「所有する」という感覚・概念は持っていませんでした。土地は人間が生き延びるために創造主から与えられたものだったのです。
創造主からの贈り物に感謝して、母なる大地を敬ったアメリカ先住民は、創造主から与えられた土地を保護していました。現在の私たちが持つべき感覚と指摘する方も多いです。
アメリカ先住民の若者や特に男性は、夢や希望がなく、多くがアルコール中毒になってしまったということも言われています。悲しき歴史を持つアメリカ先住民ですが、彼らに幸せが訪れることを願ってやみません。