常紋トンネルは心霊スポット!人骨や人柱伝説・タコ部屋の歴史も紹介
北海道の東部、JR石北本線のJR北見駅近くにあるのが常紋トンネル。この常紋トンネルは北海道随一の心霊スポットとして有名です。常紋トンネルの歴史を紐解くと、タコ部屋や人柱などといった、小説に出てきそうな話が続々登場します。そんな常紋トンネルをご紹介しましょう。
目次
心霊スポット「常紋トンネル」について紹介!
心霊スポットで有名な場所といえば、ダム、廃墟、そしてトンネルでしょうか。そんな心霊スポットと呼ばれているトンネルの中でも、抜群の歴史的背景を持つののが北海道の常紋トンネルです。
人柱、タコ部屋など、伝説的な歴史を持つ常紋トンネルについて細かく解説していきます。
常紋トンネルの場所(住所)は?
常紋トンネルはJR石北本線の西留辺蘂駅と生田原駅の間にある鉄道用のトンネルです。一般的に心霊スポットと言われるのは自動車道路にあるトンネルであり、鉄道用のトンネルが心霊スポットになるのは稀と言っていいでしょう。
住所 | 〒099-0703 北海道紋別郡遠軽町生田原八重 |
心霊スポットとして有名!
常紋トンネルは鉄道用のトンネルであり、一般的に心霊スポットにはなりづらいスポットといえるでしょう。鉄道用のトンネルの乗客の意思にかかわらず鉄道がトンネルを通過するため、心霊現象に遭いづらいのがその理由。
自動車道路のトンネルであれば、自動車やバイクとはいえ自力で通過する必要がありますし、場合によっては徒歩で通過することもあり、必然的に心霊現象に遭いやすい、また遭った場合に気づきやすいわけです。
鉄道用のトンネルでありながら、日本屈指の心霊スポットとなった常紋トンネルについて調べてみました。
戦後に人骨が発見されている
唐突になかなか恐ろしいエピソードですが、この常紋トンネルから人骨が発掘される事件がありました。
1968年(昭和43年)、北海道は十勝沖地震という大きな地震に見舞われます。この地震の影響で常紋トンネルの壁面にも損傷が見られ、補修工事が行われることに。壁面工事を行っていた1970年(昭和45年)、レンガ壁のさらに60センチメートルほど奥を掘り返していると、頭頂部に損傷がみられる人骨が発掘されたのです。いわゆる人柱と言われるものでしょう。
この人骨発掘は大きな話題となり、さらに常紋トンネルに伝えられていたおぞましい歴史を証明する形となりました。
常紋トンネルの歴史
常紋トンネルの工事が着工されたのは1912年(明治45年)。当時からこの周辺も集落もなく、道も険しいことから工事は難航を極めました。全長507mのトンネルを掘るのに36か月、約3年の月日を費やされ1914年(大正3年)に開通します。
タコ部屋労働
常紋トンネルの歴史を語る上で、外せないのが「タコ部屋労働」という言葉です。まずはタコ部屋労働について説明しましょう。
タコ部屋労働とは、全国から借金を背負って返せない人物など、「タコ」と呼ばれる下層労働者が集められ、一か所に住み込みで働かせる労働のことです。とはいえ、タコ部屋は寒い北海道で生活するには厳しいほどの掘っ立て小屋であり、衛生面、健康面などは非常に劣悪な環境でした。
そんな職場は辞めてしまえばと思うかもしれませんが、多重債務者であるタコは、そこで働くことで毎日の日銭から借金を返済している形になるので逃げることもできません。また、明治末期の北海道の山奥です。物理的にも逃げるのは難しかったはずです。
仮に現代の感覚でタコ部屋労働者の収入について説明してみましょう。現代において、土木工事の現場作業員となれば、未経験者でも日給10,000円は見込めるでしょう。しかしそこはタコ部屋です。そもそもの日給が5,000円程度に抑えられてしまうわけです。
この5,000円の日給から、宿泊費用、食費、諸経費が引かれ、手元に残るのは半分程度でしょうか。残り2,500円の日給から、1,500円を借金返済に充てられるわけです。
こうなると1ヶ月休みなしで30日働いて、手元に残る現金は30,000円。借金の返済は毎月45,000円ということに。タコ部屋に連れてこられるような多重債務者は、まともな金利で借金をしていませんので、これで恐らく利息を払えるかどうかというところでしょう。
現代の感覚で語れば、毎月30,000円の給料で、休みナシの肉体労働をし続けることになります。さらにこの30,000円ですが、手元に残らないケースがほとんど。それは毎日の食事にあります。タコ部屋での食事は非常に粗末であり、量も成人男性が満足できるほどは提供されません。
そこで管理者は定期的に食べ物やタバコ、酒などを販売してくれます。しかしこの嗜好品は市場価格の倍以上。理由は簡単。そのタコ部屋の周辺に商店はなく、買い物をするのであれば、この販売を頼るしかないわけです。タコたちは足元を見られるわけです。
多数の犠牲者が…
過酷な労働環境や劣悪な衛生面、不足する食糧などが原因で、多くの労働者が病気にかかります。もちろんタコ部屋労働において福利厚生が存在するわけがなく、ケガや病気で作業ができなくなっても、よく放置悪ければ折檻というのが日常となります。
常紋トンネルの開通工事においても、多くのタコ部屋労働者が作業中に倒れ、その後亡くなるというケースが相次ぎます。
常紋トンネル開通後、国鉄の職員が、トンネルの留辺蘂町側1kmほどにあった空き地を掘り起こすと、50名以上の人骨が発掘されたという事実が残っています。
人柱伝説
常紋トンネルのタコ部屋労働の被害者の中で、もっとも強烈な話が「人柱伝説」でしょう。当時トンネル工事に携わっていた人の証言では、作業中に現場監督に逆らった労働者が、スコップやつるはしなどで頭部を殴打され殺される事件が何度も発生したといいます。
さらにこういった作業中に暴力で亡くなった人は、人柱としてトンネルの壁面に埋め込まれたという伝承が残されました。
実はこの話、トンネル開業後常紋トンネル付近で列車の故障や不具合が相次いだ頃に語られだした伝承であり、当時はただの怪談話、つまり架空の話として扱われていました。
この架空の作り話と思われた人柱伝説が実際に実証されてしまったのが、前述の通り十勝沖地震による壁面補修工事です。この壁面補修工事で頭部に損傷がある人骨が発掘されました。
さらにこの後の補修工事で壁面から発掘された人骨は全部で10体に上り、未改修の壁面にはまだ多くの人骨が眠っているともいわれています。常紋トンネルはこうした殺人事件の被害者による人柱の上に成り立っていると言っても過言ではないかもしれません。
常紋トンネルは霊が出る?
タコ部屋労働による凄惨な過去を持つ常紋トンネル。さらにトンネル内に多数の人柱が埋まっているかもしれません。当然この常紋トンネルでは多くの心霊体験の情報が残されています。そんな心霊現象についてまとめてみました。
常紋トンネルに出ると言われる霊① 壁の中のうめき声
常紋トンネルの心霊話として有名なのが、国鉄の作業員が体験した話でしょう。石北本線のレール保守点検のために常紋トンネル訪れた作業員が、列車の通過を待つために待避所に控えていると、後ろの壁からうめき声が聞こえ、列車に向かって押されるような感覚を経験したというもの。
この壁からのうめき声は多くの職員が耳にしており、中には石北本線の運転をしていた運転士が聞いたという情報もあります。
トンネル内で作業員の背中を押したのは、間違いなく人柱となった作業員たちの怨念の仕業でしょう。
常紋トンネルに出ると言われる霊② 「見ましたか?」
この常紋トンネルのある路線を寝台列車が走っていた当時。列車が常紋トンネルに入ると、運転士は警笛を鳴らし続けていました。寝台車で横になっていた男性は不安に思い、ベッドから廊下を覗いてみると、黒い影が向こうに向かって歩いているのが見えたそうです。
その黒い影が歩いた後にはハッキリと足跡が残っており、しかも車内は生臭いニオイが充満していたとか。怖くなった男性は毛布を頭まで被り震えていると、やがて生臭さは消え、警笛の音も聞こえなくなりました。
すると、車掌と思われる男性が「お騒がせしました~」と声をかけながら近づいてきます。震える私のところまで来ると車掌は優しい声で私に声をかけてきました。
「お客さん……見ましたか?」
目撃情報は多数?
常紋トンネルでの心霊の目撃情報は枚挙にいとまがありません。特に国鉄職員、JR社員、運転士などの目撃情報が多く、中には常紋トンネルを通過するのがいやで退職する運転士もいたそうです。
常紋トンネルの開通は、国鉄の依頼で行われた作業。トンネル開通工事で亡くなった方からみれば、国鉄職員やJR社員は恨むべき対象なのかもしれません。
さらに人柱となって今でもトンネル内から線路を見つめる心霊たちにとっては、憎んでも憎みきれない相手といえるかもしれません。
常紋トンネル近くの金華駅も心霊スポット?
常紋トンネルの心霊目撃情報を調べていると「金華駅」という単語が散見されます。この金華駅というのは、常紋トンネルより5kmほど南方にある元無人駅。2016年に駅は閉鎖され、以降は金華信号場として活用されています。
常紋トンネルの慰霊碑は行くべき!
元金華駅(現・金華信号場)のすぐ近く、かつて金華小学校が建っていた小高い丘に、常紋トンネル工事殉職者追悼碑が建っています。
1959年(昭和34年)に常紋トンネル近くの空き地から50体に及ぶ人骨が白骨された時は、その場に「歓和地蔵尊」が建立されました。そして1970年以降、トンネル内の壁面から10体の人骨が発掘された後、1980年(昭和55年)、追悼碑が建設されています。
昼間に行くのがおすすめ!
常紋トンネル工事殉職者追悼碑がある場所は、国道242号線から階段を上った高台の上にあります。この追悼碑自体での心霊体験情報はほぼないのですが、問題は元金華駅の方。かつて金華駅がまだ駅として活用されている頃は、この駅自体も怪しいスポットでした。
上でも紹介した「お客さん……見ましたか?」の怪談話には追記があり、この車掌さん曰く、「心霊現象が起きる時は、金華駅あたりで必ず車体に何かしら不具合が起きます。そして点検のために金華駅で一時停車すると、高確率で心霊現象が起きるんです」とか。
今も駅舎の残る元金華駅(現・金華信号場)周辺は、未だに男性のうめき声が聞こえたり、痩せこけた男性の霊が走って追いかけてくるなどの目撃情報が多発しています。ちなみに走って追いかけてくる霊は、必ず常紋トンネルの方角から迫ってくるとか。
追いかけてきているのではなく、地獄のような作業現場から逃げ続けている殉職者の霊かもしれません。
常紋トンネルに行くときの注意点
例えば自殺の名所であったり、大きな事故の現場であったり、心霊スポットにはいろいろなタイプのスポットがあります。しかし、常紋トンネルのような多くの人が、理不尽に殺されてしまったスポットというのは他にあまりありません。
基本的には見物目的で行くのはオススメできませんが、どうしても行ってみたいという方に、いくつか注意点をお伝えしておきましょう。
夜中のトンネルには侵入しない
まずは何より「夜間は近づかないこと」というのが大前提になります。常紋トンネルは鉄道のトンネルですから、基本的に徒歩で近づくこと自体オススメできません。しかも常紋トンネル周辺は、夜間街灯もなく真っ暗闇です。
徒歩で勝手に侵入しない、そして夜間は危険ですから絶対に近づかないようにしましょう。
電車の本数が少ない
徒歩や車では近づけない常紋トンネル。実際にトンネルと通るためにはJR石北本線に乗るしかありません。しかしながらこの石北本線、本数が少ないローカル路線ですので、行く場合には十分な計画性が必要です。
仮に2020年1月現在、平日のダイヤを見てみましょう。常紋トンネル直近の西留辺蘂駅の、旭川駅方面の時刻表は、12時09分発、14時09分発、17時47分発、20時16分発の4本のみ。
事前に列車の時間を調べ、確実に乗れるように計画してください。
動物が出没する可能性がある
常紋トンネルの周辺は、今でも人が立ち入ることすら難しい鬱蒼とした山間部にあります。車で近くまで行っても、そこから山道、しかも道なき道を進まないとたどり着けません。
もちろん夜間に行くのは絶対にやめていただきたいところですが、昼間でも注意は必要。特に野生動物には十分な注意が必要です。イノシシやシカならまだしも、地域的に普通に熊も出没します。
心霊どうこうではなく、他にも危険がいっぱいなのが常紋トンネルということになります。
遊びや冷やかしで行くのはおすすめしない
上でも触れた通り、常紋トンネルは他の心霊スポットと比較しても尋常ではない歴史を持っています。多くの心霊スポットでは、霊感のある方がなにかを感じるケースがほとんどですが、常紋トンネルに関しては霊感の有無は関係なく、何かしらを感じる方がほとんどです。
遊び半分や興味本位で近づくと、取り返しのつかない事態になる可能性は十分にあります。何らかの用事で通過する必要がある以外、あまり近づくこと自体オススメできません。
それでもどうしてもという方は、必ず慰霊碑や「常紋トンネル殉職者の墓」(留辺蘂共同霊園内)などにお参りをしてから向かうことをオススメします。どれだけ効果があるかは分かりませんが、やらないよりはマシかと思います。
日本の裏の歴史を語り継ぐ最怖心霊スポット
まるで小説のような世界のお話であるタコ部屋労働。しかしながら明治から大正にかけて、特にまだ開拓が進んでいなかった北海道ではこういった現場が数多く存在したと言われています。
あるタコ部屋労働を課せられた現場では、官憲の視察のタイミングで、わざと官憲の見ているところで、一緒に働いている作業員に襲い掛かり、殺人の罪で刑務所に入ることを望んだ作業員もいたと言われています。
そんな日本御持つ負の歴史、暗黒の歴史が作り上げ、今でも現役で使われている施設は常紋トンネルを含めそう多くはありません。
常紋トンネルに残る怨霊の思念は例話の時代になっても衰えることなく、今でも仲間を引き込もうと狙っているのかもしれません。繰り返しになりますが、遊び半分で近づくことだけは決してオススメできないスポットですので、覚えておいてください。