エトワール凱旋門はフランス・パリを代表する観光名所!歴史や見どころを紹介
フランスのパリには歴史的建造物の観光スポットがたくさんあります。その中でもエッフェル塔と並んで世界的に有名なのがエトワール凱旋門です。パリを訪れたら必ず立ち寄りたいエトワール凱旋門について、歴史や見どころをいろいろまとめてみました。
目次
フランス・パリの「エトワール凱旋門」について紹介!
憧れの花の都「パリ」に行ったら、必ずと言って良いほどインスタ映えする「エトワール凱旋門」を写真に収めるでしょう。シャンゼリゼ通りを西の方へ歩いて行くと、遠くからでもその勇姿が見えてきます。
エトワール凱旋門とエッフェル塔は誰でも知っているフランス・パリの有名な歴史的建築物です。ところで、エトワール凱旋門の詳しいことについては、案外知らないものなので、これから詳しく紹介しましょう。
エトワール凱旋門とは?
そもそも大多数の日本人は、上の画像を見たら「フランス・パリにある凱旋門」だと答えるはずです。しかしこの記事では「エトワール凱旋門」と称しています。いったいただの「凱旋門」と「エトワール凱旋門」とはどのような違いがあるのでしょう。
また、なぜこのような建築物があるのでしょうか。「エトワール凱旋門」とはそもそも何なのかについても説明します。
エトワール凱旋門の歴史
それではまずエトワール凱旋門という建築物は、誰がいつ頃、何のために建設したものなのか歴史を振り返ります。これほどの立派な建物を作るくらいですから、よほどの理由があったはずです。
ナポレオンが建設を指示!
エトワール凱旋門は、アウステルリッツの戦いの戦勝記念として1806年にナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まりました。フランス軍はこのアウステルリッツの戦いまでにヨーロッパで敵対する国と2回戦争をしています。
その2回ともフランス軍が勝利していたので、3度めは何としてもフランス軍を打ち破ろうと企んでいた国がいたのです。そして1805年12月2日にオーストリア領モラヴィアのブルの近郊にあるアウステルリッツの郊外で戦いが始まりました。
フランス軍に挑んだのはロシア・オーストリア連合軍です。フランス軍は総兵力73000人で、対するロシア・オーストリア連合軍は総兵力84500人なので、フランス軍は劣勢でした。
そのためにフランス軍は策略を講じて、うまく敵をおびき出して総攻撃をかけて勝利したのです。このアウステルリッツの戦いに勝利したことによって、ナポレオン率いるフランス軍は当時のヨーロッパにおいて盤石な地位を確立しました。
この歴史的な戦勝記念としてナポレオンが建設を命令したのがエトワール凱旋門なのです。このように、エトワール凱旋門は大いなる勝利の喜びを具現化した建築物という意味で、フランスにとっては特別な意味のある歴史的建造物です。
完成は1836年
エトワール凱旋門は、1830年7月に起こった革命の後に王位に就いたルイ・フィリップの7月王政時代である1836年に完成しました。
ところで建設を命じたナポレオン・ボナパルトは、歴史上1821年5月5日に幽閉先の南大西洋の孤島セントヘレナ島で亡くなってます。つまり、彼はエトワール凱旋門が完成した姿を拝むことができなかったのです。
ナポレオンの遺体はその後1840年にフランスへ送還されましたので、亡骸になってからエトワール凱旋門を見たことになります。
エトワール凱旋門の見どころ
エトワール凱旋門は1806年から建設を開始して、その後30年を経てようやく完成しました。出来上がった姿は威風堂々としているだけではなく、細部に亘って繊細な美意識が散りばめられています。
このフランスが誇る歴史的建築物の見どころを詳しく見ていきましょう。
壁面に施された彫刻
エトワール凱旋門の壁面には美しい彫刻が施されています。上の画像のように上の方に四角い額縁のような中の彫刻が左右にあるのです。また、地面から台座の上に乗っているような彫刻も左右にあります。
これら4つの彫刻についてはそれぞれ意味がありますので、下表で詳しく説明しましょう。なお、一番上の楯の形をしたレリーフには、ナポレオンが勝利した戦争の名前が記録されています。
場所 | 彫刻の意味 |
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右下 | この彫刻の通称は「ラ・マルセイエーズ」 といい、現在の国歌の名です。正式には リュード作の「1792年の義勇軍の出陣」 です。羽の生えた女性が民衆に戦闘の号 令をかけています。 |
左下 | この彫刻はコルトー作の「1810年の勝利」 です。真ん中にいるのがナポレオンで、 右から勝利の女神が月桂樹を授けていま す。これはウィーン講話条約を称えてい るのです。 |
左上 | 四角の額縁の中の彫刻はスール作 「アブキールの戦い」です。これは ナポレオンがトルコに勝利した場面 なのです。 |
右上 | 四角の額縁の中の彫刻は 「マルソー将軍の葬儀」です。この 将軍は歴史上1795年にオーストリア軍を 撃破しましたが、翌年戦士しました。 人々が悲しんでいる場面が表現され ています。 |
無名戦士の墓
エトワール凱旋門の真下の中央部には一人の兵士が埋葬されています。これは無名戦士の墓といわれています。この兵士は第一次世界大戦で戦死した140万人の兵士達を代表して埋葬されました。
歴史上大勢の兵士達が戦争の犠牲になり、凱旋できなかった訳です。そして鎮魂の意味で無名戦士が埋葬されました。もともとエトワール凱旋門は英雄ナポレオンの戦勝記念として建てられたのですが、一方で無念の犠牲者も祀っているのです。
284段の螺旋階段
屋上の展望台まで登るには、内部の螺旋(らせん)階段を延々と登る必要があります。幅は約1mほどで両脇には手すりもついているのですが、いつまでも続くような感じがする階段です。ここが一番つらい所のようです。
もっとも、一方通行なので上から降りてくる人にぶつかることはありません。途中には2箇所ほど狭いながらも休むスペースが設置されています。しばらく頑張って登ると部屋がありますが、トイレとベンチが置いてあるだけです。
その少し上にもう一つのフロアがあり土産物店があります。ここからもうひと頑張り普通の階段を登ると展望台に出られ、外のパリのパノラマが楽しめます。
凱旋門屋上の展望台
下から見ていると堂々とした造りのエトワール凱旋門ですので、展望台はさぞかし広いところだろうと想像しがちですが、実はそれほど広々としているわけではありません。展望フロアの中央部分には建造物がありこれが視界を妨げるのです。
さらに床は段差が多いので、足元に気をつけないとつまづいてしまいます。しかしながら、鉄格子の間から見える景色は素晴らしく、地上約50mの高さからパリの街を見渡すことができるのです。
凱旋門を下から見上げると、展望台のところにはトゲトゲの金属が生えているように見えますが、実際に展望台へ行ってみると、ちょうどよいくらいの幅の鉄格子になっています。
この鉄格子は安全柵として機能しているのでしょうが、やや視界の妨げになるかもしれません。
夜のライトアップ
エトワール凱旋門は夜になっても遠くからでも目立ランドマークとして、毎夜ライトアップをしています。ライトアップの開始時期は日没時間によって変動しますが、パリ市内の街路灯が点灯する時間帯にはライトアップが始まるのです。
ライトアップされると、彫刻が浮き立つようになるので昼間とは違った魅力を見ることができます。
エトワール凱旋門は世界遺産じゃない?
これだけ世界に広く知られており、また歴史もあってフランス・パリの顔とも言えるエトワール凱旋門ですから、当然世界遺産に選ばれていると思うと、実は違うのです。なんと世界遺産ではありません。
世界遺産に登録されなかった理由
パリにある世界遺産に登録されているものは「パリのセーヌ河岸」です。つまりセーヌ川の近くにあるものでなければ、登録要件を満たしません。なぜそれほどまでにセーヌ川にこだわるのかというと、それには長い歴史があるのです。
そもそもパリは紀元前300年ころにセーヌ川のシテ島にケルト人のパリシィ族が移り住んだことによって「パリ」が始まったとされています。以来パリはセーヌの流れと共に発展してきました。言わばセーヌはパリの心の拠り所なのです。
ところが、エトワール凱旋門は残念ながらセーヌ川からは離れているので、上記の登録要件に合致しないために世界遺産にはなれませんでした。もっとも、だからといってエトワール凱旋門の価値を減じることにはなりません。
エトワール凱旋門への基本情報とアクセス方法
エトワール凱旋門についての基本情報と、実際に行ってみるためのアクセス方法について紹介します。
入場料について
エトワール凱旋門の入場料は26歳以上の人の通常料金が13ユーロとなります。(1ユーロ120円とすると、1560円です。)また、これ以外にも割引料金もあり、観光業関係者やEU圏以外の18~25歳の人、外国人教師は9ユーロです。
なお、18歳以下の人や、EU圏内在住の18~25歳の人、障害をもっている人とその同伴車者は無料です。さらに気をつけたいのはエトワール凱旋門はたいへん人気があるので、当日券を求めようとすると待たされます。
公式WEBサイトなどで事前に予約しておくのが便利です。
アクセス方法について
エトワール凱旋門へのアクセス方法は、徒歩あるいは地下鉄(メトロ)を使用してアクセスできます。場所は第8区で、ここには他にシャンゼリゼ通り、コンコルド広場、マドレーヌ寺院などがあるのです。
地下鉄の「シャルル・ド・ゴール・エトワール駅」で降りたら、1番出口から地上に出て、シャンゼリゼ通りに沿ってある「地下通路の入り口」に入ればエトワール凱旋門へ行けます。入り口の横に「ARC DE TRIOMPHE」と書いてあります。
地下通路を2分ほど進むとチケットオフィスに着きます。購入後に地上に出て「凱旋門入口」でセキュリティ・チェックを受けて、階段登り口付近の係員にチケットを提示すれば、あとは螺旋階段を登って展望台へ行けるのです。
住所 | Place Charles de Daulle Etoile 75008 Paris |
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電話番号 | +33 1 55 37 73 77 |
営業時間・定休日 | 1月2日~3月31日 10:00~22:30 4月1日~9月30日 10:00~23:00 10月1日~12月31日 10:00~22:30 |
料金 | 通常料金:13ユーロ 割引料金:9ユーロ 18歳以下、EU圏内の18~25歳 障害者とその同伴者 :無料 |
アクセス | シャンゼリゼ通り西端から 徒歩5分(350m) |
公式URL | エトワール凱旋門 |
エトワール凱旋門以外で有名な凱旋門
エトワール凱旋門は世界的に有名ですが、これ以外にも凱旋門はいくつもあります。どのようなものがあるのか、紹介しましょう。
カルーゼル広場にある「カルーゼル凱旋門」
カルーゼル凱旋門はエトワール凱旋門とほぼ同時期に建設が始められて、2年ほどで完成してしまった凱旋門です。パリの元テュイルリー宮殿だったカルーゼル広場に建っています。エトワール凱旋門と比べると半分以下くらいの大きさです。
しかしながら、高さ19m、幅23m、奥行7.3mなので、この凱旋門だけを見ればたいへん立派な堂々としたものです。それもそのはずで、ローマにあるコンスタンティヌスの凱旋門をモデルにして建設したのです。
なお、このカルーゼル凱旋門はルーブル美術館のすぐ前に位置しています。
住所 | Place du Carrousel, 75001 Paris,France |
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営業時間・定休日 | 通行自由 |
料金 | 無料 |
アクセス | メトロ1号線 パレ・ロワイヤル駅 から徒歩約5分 |
ローマの「コンスタンティヌス凱旋門」
コンスタンティヌスは4世紀初期のローマ皇帝で、ミルヴィオの戦いの勝利を記念して建てられたのがコンスタンティヌスの凱旋門です。この凱旋門はコロッセオのすぐ近くに建っており、しかもローマでは最大級のサイズを誇っています。
コンスタンティヌスの凱旋門は色々な時代の記念碑を付加したものです。そのため時代毎の変化も楽しめます。下の表に凱旋門の各部分の作成時代を示しましょう。
場所 | 時代 |
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アーチ下方 | コンスタンティヌス帝時代 |
正面円形レリーフ | ハドリアヌス帝時代 |
正面上方レリーフ | マルクス・アウレリウス帝時代 |
正面上方彫刻 | トライアヌス帝時代 |
住所 | Via di San Gregorio,00186 Roma RM |
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電話番号 | +39 06 0608 |
営業時間・定休日 | 24時間 |
料金 | 無料 |
アクセス | コロッセオ・フォロロマーノ |
エトワール凱旋門に行ってみよう!
パリのエトワール広場には12本の通りが放射状に延びています。これを地図上で見ると星が光り輝いているように見えることから、「星」を意味する「エトワール」という言葉が用いられるようになりました。
そしてこのエトワール広場にある凱旋門なので、「エトワール凱旋門」と名付けられたのです。このエトワール凱旋門はナポレオンの戦勝記念碑として作成されましたが、本人はとうとう完成を見ることができませんでした。
しかし今日では平和を愛する世界中の人達の憧れの象徴となっています。パリを訪れたら是非訪ねてみたいスポットです。