【京都】金閣寺の歴史を簡単に紹介!金閣寺の特徴や見所も!
歴史ある金閣寺は三島由紀夫の「金閣寺」や水上勉の「五番町夕霧楼」「金閣寺炎上」で有名ですが、金箔で、建物全体が貼り巡らされるという、歴史的建造物としても稀有な存在です。本記事では、金閣寺がたどった数奇な運命に、スポットを当てて検証しました。
目次
金箔が美しい金閣寺の歴史を紹介!
「金閣寺」は舎利殿といい「釈迦の遺骨」を安置する3層建ての建物ですが、金箔で全体が覆われているのが特徴で、通称「金閣寺」と呼ばれています。
金閣寺は、幾度も戦火や火災にみまわれ、1950年(昭和25年)には、放火されて全焼しますが、その後1955年(昭和30年)に再建されて、手を加えられつつ現在に至っています。
金閣寺の歴史を簡単におさらい!
「金閣寺」はきらびらやかな歴史建造物で、他の代表的な「銀閣(慈照寺観音殿)」「飛雲閣(西本願寺)」と並び、京の「3閣」と呼ばれますが、全面金箔貼りが特徴の「金閣寺」は、その美しさ故なのか、度々惨禍にみまわれます。
ここで金閣寺の成り立ちと、その歴史について、おさらいしてみましょう。金閣寺の歴史は、室町時代3代将軍足利義満の時代にさかのぼります。
西園寺という寺院を北山殿という邸宅にしたのが起源!
金閣寺は応永4年(1397年)、 室町幕府3代将軍足利義満が 、それまで放置され荒れ果てていた西園寺(主は謀反により処刑)を、河内の領地と引き換えに譲り受け、改装と新築によって御所に匹敵する邸宅(金閣寺)にします。
義満は、幼いわが子の義持(征夷大将軍)に代わり、この邸宅(金閣寺)から執政を執り行っています。当時、この義満の北山山荘は「北山殿」と呼ばれていました。
足利義満の死後に解体されて禅寺になる
北山殿と呼ばれていた金閣寺ですが、応永15年(1408年)に義満が死亡すると、主は度々変わり、義満の妻女、北山院(日野康子)の御所となりますが、応永26年(1419年)北山院が亡くなります。
北山院が亡くなったのちは、舎利殿(金閣寺)以外は解体され、南禅寺や建仁寺に寄贈されます。そして応永27年(1420年)に義満の遺言により、舎利殿(金閣寺)は禅寺となり、名称も「鹿苑寺」と改称されました。
応仁の乱で金閣寺が焼けてしまう
歴史上、戦国時代への移行原因のひとつ、とされる「応仁の乱」ですが、この戦いで西軍が金閣寺に陣を敷いたため、歴史的に価値のある、多数の「 伽藍 」が破壊、焼失してしまいます。
多くの建物が焼失した中で、幸いにも「 舎利殿 (金閣寺)」は破壊、焼失を免れます。このまま現在に残れば「応仁の乱」以前の建築物として歴史的な価値のある金閣寺でした。
しかし、1950年(昭和25年)若い見習いの僧による「放火」で、歴史的「文化財」6点と共に金閣寺は全焼します。この事件は三島由紀夫、水上勉らの小説の題材となったことでも有名です。
火災での再建や修復を繰り返して今に至る
金閣寺は、荒れていた西園寺を足利義満が改築して邸宅「北山殿」としたのが始まりです。その後、応仁の乱で金閣寺周辺は消失、破壊を受けますが、江戸時代に再建され、1604年に「金閣寺」も大修理されます。
歴史は変わり、明治に入ると「国宝」に指定され、明治39年(1906年)に改修されます。このあと、昭和25年の放火で全焼となり、昭和27年から再建が開始されます。
歴史ある金閣寺の特徴とは?
歴史的寺院である金閣寺には、特徴と見所が随所にみられます。ひとつには、人を引き付けてやまない金閣寺の一番の特徴である、寺院全面に「金箔」が貼られていることです。金閣寺のいちばんの見所も、まさにその美しさです。
豪華な金箔!
金閣寺の金箔の張替えは度々行われておりました。1955年に再建された際の金箔は10年後にボロボロになりましたが、この時の※教訓から1986年に始まった修復では、10.8センチ四方の金箔を20万枚(金の量20㎏)使用しています。
「うるし」を剥がした後、張替え前の10倍の量の金箔を使い、厚さは前回の修復時の5倍にして、さらに二重に重ねて貼るということで、総工費は当時7億4千万円にも上りました。
※前回、金箔が剥がれたのは、紫外線がピンホールから透過したことによる「うるし」の劣化が原因との結論でした。
1階には金箔が貼られていない!
金閣寺(鹿苑寺 )は3階建て(3層造り)になっています。2階、3階部分には金箔が貼られていますが、「1階部分」には「金箔」が貼られていません。この理由は※諸説ありますが、一番有力なのは足利義満の「武士上位説」です。
1層目を「神殿造り(公家)」2層目を「書院造り(武士)」3層目を「禅宗の仏殿」に見立てることで、武士は公家(貴族)より「力関係で上」と中国から国王の称号をうけた「足利義満」は示したというものです。
※創建当初、金箔は仏舎利殿(3階部分)のみであったとする説もあります。それならば釈迦を祭る仏舎利殿は金箔貼りでうなづけますし、義満の高慢さもやわらぎます。
歴史深い金閣寺の見所をチェック!
歴史的にも重要な「金閣寺」ですが、人気のある「観光地」でもあります。見所は多く、来日する外国人観光客の人気でも常に上位に挙がります。
最大の見所は、金箔に彩られた姿ですが、他にも、「鳳凰」「美しい庭園」「龍門滝」「陸舟の松」なども美しく、充分に一見する価値があります。
金閣寺の一番上にある「鳳凰」
金閣寺の見所のひとつである、屋根にそびえる「鳳凰(ほうおう)」は、「 鳳皇」とも いわれます。想像上の生き物で中国神話の霊鳥であり、日本だけでなく東アジア全域の国の神話物語や説法にも登場します。
じつは、金閣寺の鳳凰はレプリカであり、本物は大切に保管されています。1950年(昭和25年)に放火され金閣寺が全焼した時、偶然改修中で取り外されていた「鳳凰」は、幸いにも消失を免れました。
美しい庭園
金閣寺( 舎利殿 )の庭園様式は「池泉回遊式庭園」といわれ、国の特別名勝・特別史跡に指定されています。見所は、金閣寺の前に鏡湖池 がひろがり、金色の楼閣を水面に映し出されていることです。
鏡湖池 の中には 「葦原島」 「亀島」 「 鶴島」、などの島々が浮かび、「赤松石」「 畠山石」「 細川 石」など、各地の大名から献上されたと伝わる、特徴ある名石、奇岩が配置されて、この上ない荘厳さを演出しています。
陸舟の松
見所として次に挙げるのは、金閣寺( 鹿苑寺(ろくおんじ) )に、足利義満が自ら育てたとされる「 陸舟の松 」という五葉松があります。この「 陸舟の松 」は 「善峰寺の游竜の松」「大原宝泉院の五葉の松」 と並び「京の三松」といわれます。
「 陸舟の松 」の特徴は樹形が舟の形を模してあり、金閣寺の西の方角を向いていることで、義満が 西方浄土 (西の極楽浄土)への、願望を持っていたと推察されます。
龍門滝
九州にある「龍門滝」は高さ46メートル、巾43メートルの勇壮な滝です。こちら同名の金閣寺の「龍門滝」はこじんまりとはしていますが、歴史の趣ある、厳かな雰囲気を漂わせる滝です。
見所は、滝の中央に見える中国の神話の、「鯉が滝を登ると龍になる」にちなんだ、「鯉魚石」があります。なお「龍門滝」の西側に回ると、義満が「茶」をたてる際に、使用したとされる「銀河水」と「巌下水」があります。
金閣寺へのアクセス方法を確認!
金閣寺は京都でも一番北西に位置し、「車でのアクセス」は、名神高速の「京都南IC」で降りて国道1号線を北上します。しばらく走り「国道十条」の交差点を左折して、「十条通り」を西へ進むと「西大路通り」に入ります。
西大路通りを北の方角に進むと、「金閣寺前」の交差点があり、左折すると金閣寺の駐車場への案内が見えてきます。混雑状況にもよりますが、京都南ICからは35~40分くらいです。
住所 | 京都府京都市北区金閣寺町1 |
電話番号 | 075-461-0013 |
参拝時間 | 9:00〜17:00 |
参拝料金 | 大人:400円 小・中学生:300円 未就学児:無料 |
アクセス | 京都駅からは京都市営バスに乗車し、 金閣寺道バス停で下車、徒歩約3分です。 |
駐車場の有無 | P有り(第一~第三) 利用料金~1時間で300円 |
公式URL | 金閣寺へGO |
歴史のある美しい金閣寺を見に行こう!
今回特集した金閣寺は通称であり、正しくは「 鹿苑寺 」といいます。他にも「舎利殿」や「北山殿」などさまざまな呼称があり、美しい外観とともに、大変興味をそそる逸話のある歴史建造物です。
ぜひ本記事を熟読の上、歴史的な建造物の金閣寺に行かれることをお勧めします。