アイヌとは?札幌市アイヌ文化交流センターでアイヌ文化や歴史を知ろう
札幌市にあるアイヌ文化交流センターでは北海道の大地に先住し、独自の文化を育んできたアイヌ民族について学べます。札幌市アイヌ文化交流センターでアイヌ民族の歴史や文化、伝統など先住民族について知ってみませんか!先住民族の文化など紹介します。
目次
札幌でアイヌに触れる!「札幌市アイヌ文化交流センター」へ行こう
北海道の先住民族のアイヌは、アイヌ語の地名やアイヌの言葉が今も使われています。アイヌは自然の神々を崇め、共に生きてきたアイヌの歴史と文化に注目され、北海道の各地に博物館や資料館が作られました。
北海道には実際にアイヌの人が暮らすコタン村もあります。札幌市アイヌ文化交流センターでは、素朴なアイヌの伝統や文化に触れることが可能です。
アイヌのかわいい民芸品や現在でも生き続けるアイヌ文化に出会えます。
アイヌとは?
アイヌは12世紀から13世紀頃から北海道で住んできた先住民族で、独自の伝統や文化を築いています。野生動物に「カムイ」と呼ばれる神々が宿り、アイヌの人々は自然の恵みを受けて生活してきました。現在ではアイヌの精神性や文化が注目されてきています。
今でも北海道の各地の地名にもアイヌの言葉が残り、中でもおもてなしの言葉の「イランカラプテ」などは日々の生活に浸透しています。
北海道を中心に居住していた狩猟民族
北海道の先住民族のアイヌは北の厳しい自然の中で狩猟をして生活をし四季折々、山や海、川で狩猟や漁労植物採取など営まれてきました。食糧を得るために身の回りの生活用具を作り、狩猟が行われています。
主に男性は狩猟や漁労の仕事をし、女性は山菜採りや機織りなどの軽作業の仕事をしていました。
アイヌ語で「人間」を意味する言葉
「アイヌ」という言葉は、アイヌ語でカムイ(神)に対する「人間」という意味で、民族の呼び名です。北海道、東北北部、樺太、千島列島という広い範囲で暮らしていた民族で、 独自の言語や文化を持った日本の先住民族でもあります。
「アイヌ」という言葉が日本で使われるようになったのは、民族間の交流が増えてからだといわれています。
アイヌの人々はどこへ?アイヌの歴史
アイヌ民族のアイヌ文化が成立したのは12世紀から13世紀頃といわれてますが、資料で確認できるのは15世紀からです。そのころからアイヌの人々は、漁狩猟や食物採取を主に暮らし、他の地域の人たちと交易をおこなっていました。
17世紀から19世紀にかけては東北地方北部から北海道(蝦夷ヶ島)、樺太(サハリン)、千島列島に及ぶ広範囲にアイヌモシリ(人間の住む大地)として先住していました。この頃アイヌ民族は、隣接地域を移動したりしています。
アイヌ民族に関してもは、資料や記録に基づく総合的な編纂がされていなかったので、日本の歴史の中では曖昧なままになっています。
縄文人と近いという研究結果
縄文人の起源は2万年から4万年前といわれ数千年もの間、土に埋もれて縄文人のDNA配列解析から今と繋がる歴史が見えてきました。現在の日本列島に住む人の形態や遺伝的性質からアイヌ、本土の日本人、琉球の3つの集団に分かれます。
縄文人との遺伝子の共通性は、アイヌ人が約70%、本土日本人約10%、琉球人約40%、アイヌ人が縄文人に近いということがわかりました。
擦文文化からアイヌ文化へ
日本の本州が弥生時代の向かえ、古墳時代や奈良・平安時代さらに鎌倉時代まで続く頃北海道では土器と使い採取や採集・漁狩猟が行われていました。この時代を擦文(さつもん)文化の時代と呼ばれている時代です。
擦文時代は7世紀頃に始まり、12世紀から13世紀んは終わりを告げるとアイヌ文化が現れました。擦文文化に平行して北海道のオホーツク沿岸地域では「オホーツク文化」が形成されます。
オホーツク文化を担った人々は、住居内に熊の頭蓋骨を集め、熊に対する信仰を持っていたと考えられています。アイヌの人たちも熊の霊送りをする儀式を行った後や住居に祭壇を構え頭蓋骨を安置するという精神文化に大いに影響を受けアイヌ文化が生まれました。
明治に入りアイヌ語話者は激減
アイヌ語はかつて樺太、千鳥、北海道の3つの方言があったといわれています。アイヌ語が衰退していった理由に歴史的な要因が大きく関わっており、幕末から明治にもたらしたアイヌ政策が原因です。
アイヌ民族の日本語への転換と日本化が進んだ結果、アイヌ語は衰退していきました。
現在は北海道とロシアに居住している少数民族
現在、日本国内では北海道や首都圏にも広くアイヌ民族は居住しています。第二次世界大戦前にサハリンなどに居住していたアイヌ民族は、終戦後旧ソ連に「日本人」として扱われ大勢の人が北海道に渡ったとされています。
旧ソ連では先住少数民族としてアイヌ民族の存在を知りませんでした。終戦後に日本領だったサハリン南部の泊居(とまり)や大泊(コルサコフ)に住んでいたアイヌ民族は、「日本姓」を名乗り続けたのが原因で1968年にカムチャッカ地方北部の集落に強制に移されました。
旧ソ連、ロシア政府はこれまで先住少数民族として「アイヌ民族」の存在を公式に認めていませんでしたが、近年漁労を中心とした居住地コタンの再現し、北海道のアイヌ文化も学びたいという活動があります。
札幌市アイヌ文化交流センターとは?
札幌市アイヌ文化交流センターはアイヌに関することやアイヌ語やアイヌ文化・伝統の研究や振興に関する普及が目的で作られました。アイヌの歴史に触れ、先住民族のことを学べる体験型の施設です。
札幌に住むアイヌの人々のアイヌ民族伝統工芸品をその場で見て触れることができる、日本初の先住民族施設になります。サッポロピリカコタンと呼ばれ、アイヌ語で「札幌の美しい村」」という意味があります。
館内にはアイヌ文化関連の書籍や絵本など約500冊があり自由に読むことが可能です。書籍だけではなくビデオやDVDなどからもアイヌの歴史に触れられるのも魅力のひとつになります。
川の流れをイメージして作られたストリートギャラリーでも新しいアイヌ文化を感じられる作品が展示されています。
貴重!展示物は実際に触ることができる
展示コーナーでは、アイヌの伝統衣装や民具などが約300点展示され、実際に手に取ることが可能です。札幌アイヌ協会の方々による伝統的楽器の「ムックリ」の作り方や刺繍など、アイヌ文化を体験できる講座も開催されています。
アイヌの音楽や踊りを見て楽しめる
アイヌ民族の舞踊には剣の舞の「イヨマンテリムセ」と「エムシリムセ」の2種類の舞踊があります。アイヌ民族の古式舞踊として披露されています。
アイヌ民族は様々な祭礼や儀式を行う際には歌や踊りを舞って楽しんでいました。アイヌ民族にとっては歌や踊りや感情を表現する上でとても重要です。
古式舞踊は選択無形民俗文化財に指定され、地域ごとに様々な舞いが伝わっています。現在、北海道のコタンがある地域には保存会などが置かれて後世に伝えています。
アイヌ文化の体験講座も人気
ここではアイヌ文様刺繍が施してある制作する「マンタリ(前掛け)」が作れる講座が人気です。制作する作品は40㎝×30㎝程度の大きさになります。
マンタリは江戸時代後期のアイヌ民族の女性が日常で使っていた前掛け前に括ることでアイヌの民族衣装が開けることを防ぐ役割があります。祭事など開けることを防ぐ為にアイヌ民族の女性が縫う衣装のひとつになっています。
札幌市アイヌ文化交流センターの基本情報
アイヌ民族の生活や歴史、文化を学ぶことができます。館内の展示コーナーには約300種類の伝統衣装や民具などが展示され、触れることで先住民族であるアイヌの人たちの生活や歴史、文化を知ることができます。
アイヌの人が使っていた道具や衣服などを手に取り、アイヌの伝統の暮らしなどが理解できる博物館です。
札幌駅から車で約40分
札幌市アイヌ文化交流センターへの主なアクセス方法ですが、自動車では国道230号線を経由すると約40分の距離です。札幌駅から地下鉄南北線で約20分で「真駒内駅」下車、じょうてつバスで約40分「小金湯」バス停から徒歩6分で到着します。
夏の季節の通常かかる時間になります。冬季は雪などの天候や路面状況によってさらに時間がかかる場合があります。
住所 | 北海道札幌市南区小金湯27 |
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電話番号 | 011-596-5961 |
営業時間:定休日 | 8:45~22:00(展示室と庭園は9:00~17:00) 定休日: 月曜、祝日、毎月最終火曜日、年末年始(12月29日~1月3日) |
料金 | 無料 展示室観覧料のみ有料
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駐車場の有無 | 有 無料 乗用車40台 大型バス6台収容 |
アクセス | 札幌駅から車で40分 地下鉄南北線約20分「真駒内」駅下車、 じょうてつバス定山渓温泉行約40分「小金湯」バス停下車徒歩6分 |
公式URL |
アイヌの文化に触れてみよう!
北の大地に住む先住民族の独得の文化を体験してみませんか。アイヌ民族の生活や歴史や文化を楽しみながら体験できるのは、この交流センターだけです。
札幌の美しい村という意味のサッポロピリカコタンで楽しいひと時をお過ごしください。アイヌ文化を体験できるイベントも開催されています。