チビチリガマは心霊スポット!集団自決の悲しい実話と荒らし事件も紹介
沖縄県読谷村にあるチビチリガマは太平洋戦争中に住民が避難した洞窟です。多くの悲劇が起こったチビチリガマはその背景から心霊スポットとしても有名となっています。この記事ではチビチリガマの心霊現象や集団自決の悲しい実話、荒し事件について紹介をしていきます。
目次
沖縄の悲しい心霊スポット「チビチリガマ」をチェック
「チビチリガマ」は、沖縄県読谷村にある心霊スポットです。この記事では、「チビチリガマ」の悲しい実話は心霊スポットといわれるようになった心霊体験や噂についてお話をしていきます。
チビチリガマとは?
チビチリガマとは、沖縄の言葉でチビは尻、チリは切る、ガマは洞窟という意味しています。浅い谷底にあるチビチリガマには小さな川が流れていて、川がガマに辿り着くと地下へ流れ込みます。川の最後がどこかわからないことから「チビチリガマ」と呼ばれるようになりました。
沖縄では太平洋戦争中に上陸したアメリカ兵から隠れるためにガマに身を隠していました。たくさんの人が収容できるガマは避難場所として使われるほか、負傷した兵士や住民を助け治療するための野戦病院の役割も果たしていました。
沖縄にはいくつかのガマがありますが、チビチリガマはその中でも悲劇の歴史があることで知られています。
沖縄戦で集団自決が行われた場所
チビチリガマは沖縄戦で集団自決が行われた場所として今も悲劇は語り継がれています。
戦争中に、多くの住民や日本兵が避難場所として使用していたチビチリガマは、アメリカ兵が沖縄に上陸しガマを包囲された人々はアメリカに降伏するという辱めを受けるくらいならと集団自決を決行しました。
非業の最期を遂げた人々への死を悼み、永久平和を祈ってチビチリガマには「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」が建立されています。
沖縄県北部•読谷村にあるガマ
チビチリガマは、沖縄県北部にある読谷村にあるガマです。戦争が進むにつれてたくさんの住民が肉親を連れて避難し、最高で140人近くが約50メートルの長さがあるチビチリガマに身を寄せて過ごしていました。
洞窟内は暗く、灯りをつけるとアメリカ兵に見つかってしまうため暗闇の中で息を潜めて人々は息を潜めていたそうです。乳幼児も多くいたため、子供の声や泣き声によって肩身を狭い思いを人も多くいました。
チビチリガマで起こった集団自決とは?
チビチリガマでもっとも知られている悲劇が集団自決です。集団自決が行われたのは太平洋戦争末期の1945年4月2日です。沖縄にアメリカ兵が上陸し、激しい攻撃が起こるなか住民140名はチビチリガマに身を隠していました。
戦争が起こった際に、住民が日本軍から言われていたことは「アメリカ軍は鬼畜だ」「アメリカ軍に捕まると虐殺される」という言葉でした。その言葉を信じていた住民は、アメリカ軍に捕まるくらいなら自決をしようと考えていたといいます。
避難した住民83人が命を絶った
集団自決をした時に、チビチリガマには140人ほどの住民がいました。それほど広くない洞窟内に多くの人間が集まることで洞窟内の酸素は薄まり、人々は酸欠状態になっていました。
そんな極限状態の中で、ガマの周りはアメリカ兵に包囲され、出ていけば殺されると思っていた人々はアメリカ兵の前に出ていくよりも自ら命を絶つことを選びました。
この集団自決によりチビチリガマに避難した140人の内83人もの命が絶たれました。亡くなった人の多くは、ガマの中で火をつけて煙と炎でガマの中を充満させて苦しみながら亡くなりました。また、煙と炎で苦しむなら撃たれて死のうと考えてガマを出た人はアメリカ軍に救出され命を取り留めました。
集団自決が行われたのは太平洋戦争末期
悲劇の集団自決が行われたのは、太平洋戦争末期の1945年4月2日です。
集団自決が行われる前日の4月1日に、チビチリガマにアメリカ軍が訪れてきました。ガマに避難していた住民を保護するために訪れたアメリカ軍は出てくるように呼びかけましたが、住民は素直に出て行っても殺されると考えガマを出ることはありませんでした。
アメリカ軍は、ガマを去る際に「あなたたちを保護しにきた、安心して出てきなさい」といった紙とチョコレートや缶詰などを置きましたが毒が入っているかもしれないと誰も手を出しませんでした。
そして、その翌日にアメリカ軍が訪れ再度出てくるように呼びかけましたが日本の敵である人間に殺されるなら自ら命を絶つ選択をしました。
捕虜になり生き延びることは恥だと言われた
アメリカ軍が、保護をするのに声をかけた際に人々はなで出ていかなかったのでしょうか。その理由は、戦争が始まった当時から「アメリカの捕虜になり生き延びることは恥だ」と洗脳のように教え込まれたからです。
日本の戦争の背景にある、「生きて虜囚の辱を受けず」という戦陣訓は沖縄に限らず言われ続けていました。そのため、当時の人々は捕虜になって生き延びる恥を持つよりも死ぬことを選んでいました。
また、この戦陣訓以外にも「アメリカ軍は鬼畜だ」、「捕まると虐殺される」と信じ込まれていたため、捕虜になるくらいなら自ら命を絶てと教え込まれていました。
日本兵による乳幼児の虐殺も
チビチリガマの集団自決で亡くなった年齢層のほとんどは12歳以下の乳幼児がほとんどでした。幼い子供は自ら命を絶つことができないため親が手をかけて苦しまないように独の入った注射を打たれた子供もいたそうです。
自決する人々が増えるなかで、元日本兵の男性がガマの中に火をつけて炎と煙でガマの中を充満されました。その際に多くの乳幼児が亡くなったとされています。
チビチリガマでの心霊現象
悲劇が起きたチビチリガマには、心霊現象の噂も多くあります。ここからは、チビチリガマが心霊スポットといわれることになった心霊現象について紹介をしていきます。
①車に手の痕がつく
チビチリガマでの心霊現象1つめは、車に手の痕がつくという噂です。
チビチリガマに夜訪れると、車の窓に縋るような手の痕がペッタリとつくという心霊現象を体験したという噂が多くあります。誰かのイタズラなのか、本当に亡くなった人々のものによるものなのか真偽は不明です。
チビチリガマには、何もわからないまま苦しんで亡くなった子供が多くいます。慰霊をするためにも祈りを捧げて心霊スポットだからと肝試しなどでイタズラ半分で訪れるのはやめておいた方がよいでしょう。
②子どもや赤ちゃんの声が聞こえる
チビチリガマでの心霊現象2つめは、子どもや赤ちゃんの声が聞こえてくるという噂です。
チビチリガマを訪れると、子どもや赤ちゃんの声を聞いたという人が多くいます。特に赤ちゃんの泣き声は昼も夜も関係なく聞いた心霊体験をした人の噂は絶えません。
チビチリガマは、全国的にも有名な心霊スポットですが、お墓として亡くなった人々を慰霊するために存在をしています。訪れる時には、心霊スポットではなく悲劇が起こった歴史に増えて平和について考えてみてはいかがでしょうか。
チビチリガマの荒らし事件
チビチリガマの荒らし事件というのをご存じでしょうか。ここからは、悲劇が起こったこのスポットを面白半分で訪れた人たちがガマ内を荒らした事件についてお話していきます。
少年達による肝試し
荒し事件の事の発端は、2017年に「チビチリガマ荒らし」という事件が発生しました。この事件を起こしたのは沖縄に住む16歳から19歳の少年4人によるものでした。
少年達は、心霊スポットとして有名なチビチリガマを訪れ、その内部に入り肝試しを行いました。チビチリガマは、現在は集団自決で亡くなられた人たちのお墓となっています。ガマ内には集団自決で亡くなられた方たちの遺骨が入っている骨壺や人骨が置いてありますが、少年たちはその場所まで荒らしました。
また、戦争中にガマに避難していた住民が使用していたと思われる器などの遺跡なども踏みつけて割れていました。
看板や千羽鶴などを破損
少年4人による荒らしはガマ内部だけではなく、ガマの外側でも行われていました。
チビチリガマには、戦争の悲劇を繰り返さず平和が続くようにと願う遺族会の人たちによって建てられた「平和」と書かれた看板も破壊されていました。平和の像が飾られている石垣も叩き壊され悲惨な状態になって発見されました。
また、チビチリガマで亡くなった人々への慰霊の思いを込めて作られ寄贈された多くの千羽鶴も破損していました。平和と鎮魂を祈る人々の気持ちを踏みにじるような行為を行った少年の中にはチビチリガマで起きた集団自決の歴史を知らないという少年もいました。
遺族のみならず多くの人が悲しんだ
チビチリガマは、沖縄戦での悲劇を知らない人々へ伝える、そして記憶に留める大切な場所として遺族会の方々が保護をしている場所です。
チビチリガマの荒らし事件が起こり、それを知った遺族の人たちは深い悲しみに襲われました。この事件は沖縄戦争の悲劇を踏みにじる行為としてメディアも取り上げられチビチリガマの悲劇をしる人々の多くが悲しみました。
この出来事は、沖縄のガマには風葬という亡くなった人をガマの中で自然に返すという風習があったため、戦争だけでなく今まで亡くなられた人々への侮辱行為として強い怒りを持った遺族会の中にはいました。
チビチリガマの場所と現在
チビチリガマを心霊スポットとしてはなく、その歴史を目で見て肌で感じたいという人もいるかと思います。ここでは、チビチリガマの場所と現在について紹介をしていきます。
読谷村波平地区の林の中
チビチリガマがある場所は、沖縄県読谷村(よみたんそん)にある波平地区の林の中にあります。那覇市より北部にあり、近くには太平洋戦争中にチビチリガマと同じく避難所として使用されたシムクガマもあります。
アクセスするには少しわかりにくい場所にあるため、訪れる前にしっかりと行き方を確認しておきましょう。
車でのアクセス
チビチリガマに車でアクセスするには、国道58号線にある「伊良皆の信号」から県道6号線に入ります。県道6号線に入って10分ほど進むと「大当の信号」があるので、そこから県道を右へそれていき進みます。
道を進むと500メートルほどの場所で右側に赤い瓦のトイレが見えますので、それを目印に進んでください。トレイの周辺には車が止められるチビチリガマを見学しに行くのに利用できる駐車場となっています。
駐車料金などは特にないですが、訪れる人も多い場所なので見学が終わったら早めに駐車場を空けるようにしましょう。
バスでのアクセス
チビチリガマには、バスでアクセスすることもできます。
バスでアクセスする場合は、那覇バスターミナルから「28番バス」の「読谷バスターミナル行」に乗車をして、「大当バス停」で下車をします。「大当バス停」からチビチリガマまでは徒歩約15分ほどとなっています。
また、那覇バスターミナルから下車するバス停までの所要時間は1時間30分くらいとなっていますので、訪れるなら車で行くのがおすすめです。
現在は遺族の意向により立ち入り禁止に
チビチリガマは、現在は遺族の意向で立ち入り禁止となっていますので、訪れた際にはガマの入り口のみを見学することができます。
チビチリガマの集団自決が公に語られるようになり始めてから、見学者が増えたことから1995年の4月に一般の人が内部に入ることを遺族会によって禁じられました。
チビチリガマは、遺族の方にとっては大切なお墓そのものですので、「内部が気になるから」や「心霊スポットとして有名だから肝試しをしたい」というイタズラな好奇心などで内部には入らず、亡くなられた人々を静かに眠らせてあげましょう。
住所 | 〒904-0322 沖縄県中頭郡読谷村字波平1153 |
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電話番号 | 098-958-6494(読谷村観光協会) |
営業時間・定休日 | [営業時間] 24時間開放 [定休日] 年中無休 |
料金 | 無料 |
駐車場の有無 | 駐車場あり |
アクセス | ●那覇バスターミナルから「28番バス(読谷バスターミナル行)に乗車 大当バス停で下車。バス停から徒歩約15分 |
公式URL | チビチリガマ |
チビチリガマは平和への祈りが詰まった場所
チビチリガマの悲しい実話や事件、心霊スポットの噂についてお話してきました。チビチリガマは歴史的な悲劇が起こった場所です。現在は、心霊スポットとして有名になっていますが、遺族の人たちには大切なお墓となっていますので面白半分で訪れるのは止めておきましょう。
チビチリガマを訪れた際には、心霊スポットとしてではなく亡くなられた人々への慰霊の祈りを捧げるために訪れてみてください。