鈴ヶ森刑場跡は東京の心霊スポット!八百屋お七の伝説や住所も紹介
鈴ヶ森刑場跡が東京にある有名な心霊スポット。様々な心霊現象が起こると噂になっています。そこで今回はそんな鈴ヶ森刑場跡について詳しく調べてみました。八百屋お七の伝説や鈴ヶ森刑場跡の基本情報・周辺の心霊スポット情報もまとめてあるので、ぜひチェックしてみてください。
目次
東京の心霊スポットで有名な「鈴ヶ森刑場跡」を紹介!
お七の伝説で有名な鈴ヶ森刑場跡。心霊スポットとして恐れられている一方で、観光地としても人気のある珍しい場所です。今回はそんな鈴ヶ森刑場跡について詳しく調べてみました。
鈴ヶ森刑場跡とは一体どんな場所なのか、またどんな心霊現象が起こっているのかなど、様々な情報についてまとめていますので、観光や旅行にお出かけする前にチェックしてみましょう。
鈴ヶ森刑場跡とはどんな場所?
ではまずは、鈴ヶ森刑場跡とはどんな場所なのか見ていきましょう。鈴ヶ森刑場跡は、1651年(慶安4年)に開設された形状。約220年の間使用されていましたが、その間には10万から20万人もの人が処刑されたと言われています。
現在は街中にあるように見えますが、開設された当時は東京湾にあった鈴ヶ森刑場跡。処刑の際には「水磔」(海の中に罪人を逆さ吊りにして、潮が満ちた時に溺死させる方法)と呼ばれる、処刑方法も行われていたようです。
鈴森山大経寺の境内にある
そんな鈴ヶ森刑場跡は、現在国道15号線沿いに位置している「鈴森山大経寺」の境内にあります。当時のものがそのまま残されているわけではありませんが、現在も井戸や火炙(火あぶり)用の鉄柱・磔(はりつけ)用の柱を立てた礎石などが残されています。
礎石は元々の場所からは移動されていますが、姿形はそのまま。現在は死者を弔うための供花台や供養碑としての意味合いを持っているようです。
東京都指定文化財で自由に見学可能
そんな恐ろしい過去を持つ鈴ヶ森刑場跡ですが、歴史のある史跡だということで1954年には東京都指定文化財の指定を受けています。その影響もあり有名な観光スポットとして昼間は賑わっています。
心霊スポットだと思って訪れるとかなり拍子抜けしてしまいますが、訪れた人からの評価はいいものばかり。無料で自由に見学できるようになっていますので、近くに行った際には是非立ち寄りたい場所となっています。
鈴ヶ森刑場跡で噂になっている心霊現象4選
鈴ヶ森刑場跡について理解したところで、続いては「鈴ヶ森刑場跡で噂になっている心霊現象4選」についてご紹介していきましょう。
昼間は観光スポットとして多くの人で賑わっている鈴ヶ森刑場跡。しかしここは大勢の人が処刑されてきた刑場です。人々の恨みつらみが募っている場所だと言っても過言ではないでしょう。
そんな恐ろしい念がうごめいている鈴ヶ森刑場跡。どのような心霊現象が起こっているのでしょうか?特に有名な話を4つご紹介します。
①罪人と思われる幽霊の目撃
まず最初に噂されているのは「罪人と思われる幽霊の目撃」です。先ほどもご紹介しましたが、この鈴ヶ森刑場跡では10万から20万人もの人々が処刑されています。その中には無実の人や罪をなすりつけられた人も少なくありません。
そんな無念や怒り・悲しみ・恨みを持った人たちの想いが幽霊となって現れているのでしょう。幽霊を見かけた人の中には「何かを訴えてきていた」「大勢で歩く足音が聞こえた」というものもあるそうです。
②女性の幽霊の目撃
さらにこの鈴ヶ森刑場跡では「女性の幽霊」の目撃情報も数多くあります。この除霊の霊を見たという人たちは、白い着物姿の女性の霊を目撃しています。また目撃されている場所も「首洗い井戸」と呼ばれる、処刑人の首を洗う井戸のそば。
かつて処刑されてしまった女性が成仏できずにこの場所に現れているのでしょう。また、この女性の霊に関しては、写真に撮られたことでも有名になっているので興味がある方は調べてみてください。
③首洗いの井戸で心霊写真が撮れた噂も
また先ほどの女性の霊以外にも、首洗い井戸の周辺ではなんども心霊写真が撮られています。はっきりと霊が写り込んでいるものもありますが、白いモヤのようなものが写っているものや、赤い線のようなものが映り込む場合も。
特に赤い線の写真は霊が怒っている・危険なことが起こる前兆であると言われていますので、決して遊び半分で近づいたり写真を撮らないようにしましょう。
④首洗いの井戸の金網を取り外すと危険
さらに鈴ヶ森刑場跡で噂されているのは、首洗い井戸の金網です。首洗い井戸には落下防止で金網が設置されています。中は覗き込めるようになっているのですが、深くて暗く不気味な雰囲気が漂っています。
そんな恐ろしい首洗い井戸。金網を取り外してしまうと怨念に祟られるという話があるようです。実際に何かが起こったわけではないので噂話の範疇を超えませんが、この首洗い井戸は罪人の首を洗っていた場所。何かあっても不思議ではありません。
また金網を取り外すと怪我や事故の原因になる場合もありますので、絶対に金網には触らないようにしましょう。
鈴ヶ森刑場跡で有名な八百屋お七の伝説を紹介
では続いては、鈴ヶ森刑場跡で有名な八百屋お七の伝説を紹介していきましょう。歌舞伎などでもよく題材となっている八百屋お七。文学の世界でもよく見かける有名なお話です。
そんなお七はこの鈴ヶ森刑場跡で処刑された人物の一人。処刑された人の中では最も有名な人物ではないでしょうか?そんなお七はなぜ有名になったのか、なぜ処刑されてしまったのかなど、伝説について詳しくご紹介していきます。
お七が放火事件を起こす
お七が鈴ヶ森刑場で処刑される原因となったのが、お七自身が起こした放火事件です。1683年1月25日「天和の大火」と呼ばれる大きな火災が起きました。この火災での死者数は約3500人とも言われ、多くの犠牲者が出た火災です。
そしてお七自身もこの火災によって家を無くしてしまいました。家が焼けてしまったお七は両親とともに正仙院に避難。その正仙院でのちの恋人となる生田庄之介と出会います。
正仙院にいる間は生田庄之介と毎日会うことができたお七でしたが、家の修復が終わると離れ離れにならないといけません。それが耐え難かったお七は「もう一度家に火をつければ離れなくても済む」と考え、自分の家に放火してしまうのです。
放火によって火炙りの刑に
お七によって行われた放火は幸いにも大きな火事にならずボヤ騒ぎ程度で収まりました。しかし放火をした事実には変わりないので、お七はその責任を負うために処刑されることになります。
お七の処刑に選ばれたのは火炙りの刑。これはお七が放火をしたからだと言われています。恋心のために放火という手段を選んでしまったお七は1683年に処刑され、この世をさりました。
お七の伝説は「好色五人女」で有名に
このような伝説を残しているお七ですが、処刑が行われた当時には有名な出来事ではありませんでした。しかし井原西鶴の「好色五人女」という作品のモデルとしてお七が取り上げられたことにより、後世に名が残るほど有名になったと言います。
好色五人女の作品の中では、お七・生田庄之介という名前は出てこないのですが、話の内容が事件そのものなので間違いありません。
この八百屋お七の話がもっと注目されていたのは歌舞伎での演目。一番最初に演じられたのは1706年で今から300年以上も前のことです。その歌舞伎での演目の評判が良かったことから浄瑠璃や文学でも題材に。現在でも様々な場所で演じられています。
鈴ヶ森刑場跡の住所とアクセス方法
鈴ヶ森刑場跡の歴史について詳しくわかったら、次は実際に訪れてみましょう。鈴ヶ森刑場跡の住所とアクセス方法についてまとめていますので、お出かけの際にはぜひ参考にしてみてください。
住所 | 東京都品川区南大井2-5-6 (大経寺内) |
---|---|
アクセス | 京急線大森海岸駅から徒歩で約7分 首都高速1号羽田線鈴ヶ森ICから車で約10分 |
駐車場の有無 | なし |
東京の鈴ヶ森刑場跡以外で有名な心霊スポット3選
ここまでは鈴ヶ森刑場跡の歴史や心霊現象についてご紹介してきましたが、東京にはそれ以外にも心霊スポットがたくさんあります。そこでここでは特に有名な心霊スポットについてまとめてみました。
特徴と心霊スポットの基本情報についてまとめてありますので、鈴ヶ森刑場跡に行った後立ち寄ってみましょう。
慰霊碑が撤去された噂がある「大和田処刑場跡」
まず最初にご紹介するのは「大和田処刑場跡」です。この大和田処刑場跡は東京都八王子市にあった刑場。小塚原刑場と鈴ヶ森刑場に並ぶ江戸の三大刑場のうちの一つで、元禄時代には高い塀と牢屋が設置されていました。
この刑場がくなった跡地には工場が建設されて操業していましたが、原因不明の事故が相次いで発生し怖がられました。やがて工場は閉鎖され、1954年(昭和29年)には供養の意味を込めて慰霊碑を建立しています。
現在では慰霊碑も撤去されてしまっているので、大和田処刑場跡には何も残っていません。この跡地に再度何かを建築しようという計画もなく、ただの空き地となっています。
住所 | 〒192-0045 東京都八王子市大和田町6丁目1 |
---|---|
アクセス | 八王子駅から甲州街道/国道20号 を経由して車で6分 |
駐車場の有無 | なし |
廃墟としても有名「奥多摩ロープウェイ」
続いてご紹介する心霊スポットは「奥多摩ロープウェイ」です。奥多摩ロープウェイは東京都の北西部にある奥多摩湖を横断するロープウェイ。世界最大の貯水湖とも言われていた奥多摩湖を跨ぐように走っていました。
1962年の開業当初は奥多摩湖を見渡すことができると多くの人で賑わいましたが、湖の上に橋がかかったことで利用客が激減。わずか4年で閉業となってしまいました。閉業となった後にもロープウェイは撤去されずそのまま。廃墟と化しています。
長い間雨風にさらされている施設は次第に老朽化してきており、なんとも言えない不気味な雰囲気に包まれています。また人が近寄らないことや水辺の近くに位置していることから幽霊が集まりやすいとの噂も。
心霊スポットとしてはもちろん危険ですが、建物自体にも危険性がありますのでむやみに近寄らないように注意が必要です。
住所 | 〒198-0225 東京都西多摩郡奥多摩町川野 |
---|---|
アクセス | 奥多摩駅から青梅街道/国道411号を経由してくるまで25分 |
駐車場の有無 | なし |
呪われる噂がある「平将門の首塚」
最後にご紹介するのは「平将門の首塚」です。こちらは歴史上の有名人物である平将門の首を祀っている塚。平安時代に武将として活躍していた平将門ですが、力をつけてきたことに調子付き自らを王だと名乗り始めます。
その行動を良く思わなかった朝廷は平将門を殺害。討ち取られた首は京都の地で3日間さらされていました。しかしその3日目のこと。平将門の目が急に見開いたかと思うと、突然に光を放ちながら飛び去ったというのです。
そしてその飛び去った首が落ちてきたと言われているのがこの首塚。現在この首塚の周辺は都市開発が進んでいるのですが、首塚だけは残されています。その理由は「祟られるから」という現代では考えられないようなもの。
しかし実際に首塚の撤去を計画していた関係者が亡くなったり、不幸な目に合うという時間が起こっています。現在でもその祟りは信じられており、この首塚だけは手付かずの状態で祀られています。
住所 | 〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目2−1外 |
---|---|
アクセス | 大手町駅から徒歩2分 |
駐車場の有無 | なし |
鈴ヶ森刑場跡へ行ってみよう
今回は東京の有名心霊スポットである鈴ヶ森刑場跡についてご紹介しました。現代でも歌舞伎や文学で有名な八百屋お七が処刑された場所でもある鈴ヶ森刑場跡。誰でも自由に観光できる場所になっていますが、実際にその場所ではたくさんの人が亡くなっています。
科学では説明できないような心霊現象もたくさん起こっているこの場所へ、ぜひ昼間に訪れてどんな場所なのか体験してみましょう。また夜に訪れる場合には、十分安全対策をしてお出かけしてみましょう。
また今回ご紹介した鈴ヶ森刑場跡以外にもたくさんの心霊スポットがある東京都。江戸三大形状の一つである「大和田処刑場跡」や「平将門の首塚」など、どの心霊スポットにも背筋がゾッとするような恐ろしいエピソードが眠っていますので、気になる人は調べてみてください。