多摩テック跡地の現在!遊園地閉鎖後の明治大学・三菱商事との跡地問題も
かつては遊園地としてにぎわった多摩テックでしたが、遊園地閉鎖後は明治大学がスポーツ学部の建設を計画していましたが断念しました。土地所有者の三菱商事との跡地問題へと発展しています。多摩テック跡地の現在の状況を調査していきます。
目次
多摩テック跡地の現在について紹介!
東京都日野市にあった遊園地の多摩テックは、2009年9月30日をもって閉園しました。 多摩テック閉園後には、跡地として明治大学と三菱商事の共同出資により買収されたものの、計画は頓挫して裁判へと発展しています。現在は、廃墟の状態となっています。
当時はゴーカートなどのアトラクションがあり、連日笑顔の絶えない人気の遊園地として評判でした。そんな多摩テック跡地の現状について調査しています。
人気遊園地だった「多摩テック」の歴史
東京都日野市にあった多摩テックには、子供でも運転ができる乗物をはじめ、レースを楽しむことができるゴーカートなどといったものもあり、たくさんのアトラクションがあり人気の遊園地でした。
温泉施設も併設しており、1日ゆっくりとした時間を過ごすことができるので多くの家族連れで週末には大変なにぎわいをみせていました。多摩テックの歴史を振り返ります。
1961年にオープン
1961年10月1日にオープンしました。多摩テックは開園当初、ゴーカートをはじめ、飛行機雲や観覧車などといった感じに、子供たちに人気のアトラクションがたくさん新設されました。
たくさんのアトラクションがあるといったことから、東京においても多摩テックは人気の遊園地として評判となりました。
1980年代にアトラクションや温泉施設を新設
多摩テックと同じ敷地内には、多摩テック・クアガーデンといった天然温泉施設もあり、老若男女問わずに楽しむことができるレジャースポットとしても好評でした。 丘の上には観覧車もあり、関東平野や都心部方面を一望することができました。
美しい夜景を望むことができるので、多摩テックは子供のみならずデートスポットとしても利用ができるといった魅力あふれる遊園地でした。
1980年代に入ると人気に拍車がかかり、大規模なアトラクションがたくさん登場します。ジェットコースターであったり、UFOやハイパーカートなどといった感じに斬新なアトラクションがたくさん登場します。
連日多くの来場者が訪れ、 多摩テックには温泉施設も誕生するといった感じに大きな規模の遊園地へと発展を遂げました。
2009年に閉園
2000年代には、人気にかげりをみせはじめます。東京ディズニーシーであったり、ユニバーサルスタジオジャパンといった大型の遊園地が誕生し、人気を奪われるといった感じとなります。2009年9月30日に惜しまれつつも閉園しています。
48年間地元の方に愛された人気の遊園地でしたが、時代の流れにより利用者が減少し、閉園といった形になりました。
閉園後は明治大学と三菱商事による計画が発表され、順調に事が運ぶかといった感じもありますが、結局は計画が断念されるといった結果になりました。詳細にも触れていきます。
閉園後の多摩テック跡地問題
明治大学に三菱商事、東京都日野市での大型プロジェクトが組まれえましたが、明治大学が構想を断念し、計画も白紙となり、共同事業者であった三菱商事が明治大学を提訴するといった形へと発展しています。
2014年完成予定であった明治大学スポーツ学部は幻となり、現在は利用計画もなく、廃墟となっています。
明治大学がスポーツ施設の建設を計画
多摩テック跡地の利用方法について、明治大学がスポーツ学部を建設するといった計画が浮上しました。三井商事との共同事業となり、多摩テック閉園した後の2010年10月に発表が行われます。
多摩テックの閉園後すぐには観覧車やスペースショットなどといったアトラクションについては解体作業が行われます。
明治大学スポーツ学部は2014年に完成予定で建設計画が組まれました。大きなプロジェクトといった内容で、 明治大学スポーツパークとして利用するといった大規模な構想となっていました。
明治大学や三菱商事だけではなく、自治体でもある東京都日野市も関与するといった一大プロジェクトになっていました。
三菱商事が跡地を購入
明治大学スポーツ学部の新設の共同事業者として三菱商事も名乗りを上げ、多摩テック跡地の土地を購入しました。東京都日野市も加わり、明治大学スポーツパークとして2014年に完成するといった内容のプロジェクトでした。
計画が進む中、突如、明治大学のスポーツ学部新設の構想が中止となります。どういった背景があったのでしょうか。
東京都日野市も後押しする一大プロジェクトとなっていましたが、明治大学のほぼ一歩的な感じの計画断念といったこともあり、遺恨が残る形となりました。その後、裁判へと発展する形となります。
明治大学が建設計画を断念
スポーツ学部新設といった明治大学の構想計画は順調に進んでいるかのような感じがありましたが、 明治大学は2013年10月に構想を断念する形となります。構想を断念するといった背景にはいくつかの理由があります。
計画の発表後には東日本大震災が発生し、2020年東京オリンピックなどのイベントも組まれました。人件費が上がり、予定額を超えてしまったといったことがあります。
もうひとつの理由として、多摩テックのある東京都日野市では、タヌキなどの野生動物が生息しており、跡地開発の際にタヌキ以外にもキンランやオオタカといった生物も生息しているといったことが、調査の結果判明しました。
東京都自然保護条例の審査が入るといったこともあり、計画が延期になるといったことも背景にはあります。
三菱商事が明治大学を提訴
2013年10月に明治大学より、計画断念の公表を受けて、三菱商事側は土地を立て替えたといったことにより発生した費用など、およそ61億9千万円を求めるといった内容の訴訟を起こし、裁判へと発展しています。
2018年には東京地裁より判決が下され、明治大学に対して三菱商事へおよそ8億4千万円の支払義務が発生するといった内容となりました。
計画当初には地元住民に対する工事の説明会であったり、協定の締結などといった形で順調に計画は遂行していました。月日が経過し、明治大学による一方的な感じの断念によって計画は白紙となり、三菱商事や東京都日野市は納得がいかない事態となっています。
現在に至っても、多摩テック跡地に動きはなく、廃墟と化して工事中止後の状態のままとなっています。
多摩テック跡地の現在は?
明治大学スポーツ学部ができるといった構想があり、共同出資者でもある三菱商事が総省の多摩テック跡地の土地を購入し、開発工事も開始しましたが、事情が変わり、2013年10月に明治大学より計画断念の意向が公表されます。
裁判へと発展し、現在は工事の際の看板のみが残り、立入禁止の廃墟といった形となっています。ひっそりとした感じがあるスポットとなっています。
一部のアトラクションが残る廃墟に
明治大学より計画を断念したといった移行により、多摩テック跡地は現在も廃墟化した状態となっています。観覧車などの一部については閉園後すぐに撤去されましたが、ゴーカートをはじめとした一部のアトラクションについては現在も残っています。
立入禁止となっており、巨大廃墟といった感じで現在も当時の面影を感じられることができる場所です。
バリケードの外からは多摩テック跡地の様子を現在も眺めることができます。懐かしい光景ともなっており、一部のアトラクションについても残っており、当時の面影を残しています。
内部ではタヌキが出入りする様子なども眺めることができます。自然豊かな廃墟として現在も閉園当初の様子が伺えます。
タヌキが住み着く
自然豊かな光景が楽しめると評判であった多摩テックですが、工事の中止により跡地も再利用が行われずに広大な森林として残っています。廃墟と化した多摩テックは立入禁止といったこともあり、タヌキが住み着く場所となっています。
自然豊かな東京都日野市ならではといった光景となります。一時は野生動物の姿を見かけなくなったものの、多摩テックの閉鎖により野生動物の姿が戻りつつあります。
自然豊かな光景が眺められるといったという意味では東京とは思えない光景となっています。多摩テック跡地のフェンス越しにその姿を見かけることもできます。多くのタヌキが現在も住んでいます。
東京都内とは思えないほどの自然に富んだ光景となっています。のんびりとした光景を眺めてみたいといった方にはおすすめのスポットになります。外部から眺めるようにしましょう。
心霊スポット化?
多摩テック跡地では心霊スポットかといった噂もありますが、心霊現象などの報告については特にはありません。多摩テックがオープンする際には工事により事故も発生したといったこともありますが、閉園後にはそういった事故や事件は発生していません。
廃墟と化し、不気味な感じがあるといったことから、心霊現象が起こるといった噂が起きているようです。
心霊スポットでなないかといった噂は絶えず、起きているものの多摩テックでは心霊体験談はなどはないので、心霊現象については起きていないといえます。廃墟に心霊スポットの噂はつきものといった感じもあります。
危険性はないものの、廃墟となっており、内部への立ち入りは禁止となっているので、できる限り近づかないようにしましょう。
立ち入り禁止
現在の多摩テック跡地にはバリケードが張り巡らされており、高さもあり立ち入ることができない状態となっています。危険ですので、くれぐれも立ち入らないように注意しましょう。
所有者の許可を得ずに敷地内に入ってしまうと、不法侵入となり罰せられます。バリケードの外からも廃墟と化したアトラクションの一部を眺めることもできます。
多摩テック跡地の今後の活用についての計画もなく、現在に至っています。外部より多摩テック跡地の外観を眺めることができ、静かな感じとなっています。内部にはタヌキが出入りしているといった感じです。
緑豊かな自然のみが残った廃墟として、現在も当時の面影を残しています。くれぐれも中に入るといった行為は犯罪となるのでやめましょう。
多摩テック跡地の今後の活用は?
2009年9月30日をもって閉園した多摩テックは2020年の現在も廃墟のままの状態となっています。閉園後すぐには明治大学スポーツ学部が新設されるといった計画がありましたが、2013年10月に断念し、その後の進展はありません。
多摩テック跡地の今後ですが、東京都日野市のホームページで該当する七生丘陵西地区計画書では、学校施設でしか利用ができないといった内容になっています。
多摩テック跡地は現在は市街化調整区域となっているといったこともあり、大学のみが誘致できるといったスタイルになります。広大な敷地といったこともあり、大学を誘致するのは困難といった問題もあります。
2020年現在では特に多摩テック跡地に大学の誘致が決定したといった情報はありません。現在も多摩テック跡地は当時の工事の様子が伺え、多摩テックの一部のアトラクションもあるといった廃墟となっています。
多摩テック跡地の場所
小学生でも楽しめるゴーカートがあったり、幼児向けの親子で乗車できるゴーカートなどといった感じに、ホンダならではの本格的なモータースポーツが楽しめる場所として人気がありました。
本格的なモーターアトラクションもある遊園地で東京都日野市といった自然豊かな森の中にある遊園地として多摩テックは好評を博していました。2009年9月30日に幕を閉じました。
住所 | 東京都日野市平山1丁目19-12 |
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アクセス | JR中央線豊田駅北口より多摩センター駅行きバスで12分 |
多摩テックの現在や歴史を知ろう
自然豊かな光景を楽しめ、かつては笑顔の家族連れでにぎわった多摩テックでしたが、2009年9月30日の閉園後は寂しいものとなっています。明治大学がスポーツ学部の建設を行う予定でいましたが、計画を断念しました。
多額な改修費用が発生したことにより、共同事業者であった三菱商事より訴訟を明治大学に対して行います。進展はなく、現在は廃墟化している状態です。