糸数アブチラガマは沖縄戦を伝える重要なスポット!壮絶な歴史を紹介

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糸数アブチラガマは沖縄県南城市玉城糸数にあり、沖縄戦の歴史を語る上で欠かせないスポットになっています。糸数アブチラガマは戦争の悲劇を繰り返さないといった意味でも忘れてはいけない場所となっています。糸数アブチラガマについて触れていきます。

糸数アブチラガマは沖縄戦を伝える重要なスポット!壮絶な歴史を紹介

目次

  1. 沖縄戦の歴史を伝える「糸数アブチラガマ」を知ろう
  2. 糸数アブチラガマとは?
  3. 糸数アブチラガマは平和学習の場としても定番
  4. 糸数アブチラガマの歴史
  5. 糸数アブチラガマの内部は?
  6. 糸数アブチラガマへのアクセス方法
  7. 糸数アブチラガマで沖縄戦の歴史を学ぼう

沖縄戦の歴史を伝える「糸数アブチラガマ」を知ろう

沖縄戦
MIKI Yoshihito. (#mikiyoshihito)

糸数アブチラガマでは沖縄戦の歴史について知り学ぶことができます。修学旅行先としても評価が高く、全国各地より多くの学生が訪れる場所ともなっています。沖縄本島南部には「ガマ」と言われている自然洞窟があり、戦跡として眺めることができます。

壮絶な戦争の歴史を実際に肌で感じることができるおすすめの場所です。子連れのご家族にもおすすめの場所となっています。

糸数アブチラガマとは?

糸数アブチラガマは270mほどの洞窟となっています。ガマと呼ばれ、太平洋戦争の際、地下陣地として日本軍が整備を行ったことがはじまりとなります。陸軍病院の分室として利用され、多くの負傷兵や住民が集まる避難壕としての役割を担っていました。

食料備蓄や地下水もあり、多くの人々の命を救った場所です。沖縄戦の歴史を語る上で貴重の戦跡となっています。現在はほぼ全域が公開されています。

沖縄県南城市にある自然洞窟「ガマ」

ガマは自然洞窟のことを意味しており、沖縄本島南部にある南城市玉城字糸数には糸数アブチラガマがあります。糸数集落が避難の際の指定壕として利用していました。戦火の状況によりいろいろと変化が訪れます。

沖縄戦の当初、陣地壕や倉庫となっていましたが、その後は南風原陸軍病院の分室として日本軍の負傷兵が避難していました。     

ガイドの引率がなければ入れない

糸数アブチラガマの入壕料金は、個人の場合は大人250円、小人100円です。団体は大人200円、小人100円といった内容となっています。入壕の際にはガイドが必要ですので、 入壕申込書を提出するようにしましょう。

戦争に関する大切な話を伺うことができるので、 沖縄戦の歴史についてこの機会に学んでみませんか。別途ガイドの料金がかかります。

糸数アブチラガマは平和学習の場としても定番

糸数アブチラガマは地域の住民を中心にガマの運営を行い、戦争の悲劇について伝えています。平和の大切さを伝えるといったことを目的に活動を行っています。沖縄戦の戦跡のひとつともなっている場所です。

ガイドを通じて戦争に対する悲劇について知り学ぶことができます。戦跡を眺め、戦争について深く考えてみませんか。

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沖縄の学生が平和学習で訪れる

糸数アブチラガマは平和学習を行う場として、修学旅行生を含め年間はおよそ15万人が足を運ぶといった場所になります。壕内は全長が270メートルとなっており、沖縄戦当時の状況を実際に体験うることができる貴重な場所となっています。

当時の負傷者や住民の避難の場として照明も非常用のみとなっていたり、漆黒の闇を体感するといった場所になります。 

沖縄で学生たちが平和学習で訪れる定番的な場所となっています。実際にガマに入り、当時の様子を伺うことができるといった意味でも貴重な体験となります。沖縄観光に出かけられる際にもおすすめです。

想像を絶する光景となっています。当時の人々の恐怖や悲しみをひしひしと感じることができます。

修学旅行先としても人気

ガマには井戸やカマド、遺物といったものが現在も残っています。沖縄に修学旅行で訪れる学生も多く、戦争の歴史について知り学ぶことができる場所となっています。当時の悲劇を繰り返さないといった意味でも貴重なスポットです。

ただ、多くの犠牲者も発生した場所でもあるので、くれぐれも慎重に行動し、尊い気持ちで見学するようにしましょう。

実際にガマの中に入ることができる

糸数アブチラガマは実際に内部に入ることもできます。南部管区総合案内センターにて入場チケットを購入すると懐中電灯を借りることができます。糸数アブチラガマの入り口については狭く、真暗闇といった感じがあります。 

昭和20年5月には撤退することとなり、重症患者を置き去りにしたままとなり、米軍による火炎放射攻撃を受けたといった悲しい歴史もあります。洞窟内には現在も火炎放射の悲劇を物語る跡や生活物資も残っているなど、当時の様子がそのまま伺えます。

外界とは全く違った感じとなっており、深い闇に包まれた自然洞窟となっています。自裁にガマの内部に入ることができ、ガイドの説明を受けながら当時の様子についての体験についても知ることができます。

想像することのできない壮絶な光景があります。繰り返してはならない戦争の歴史について知り学ぶことができる貴重なスポットです。 

糸数アブチラガマの歴史

沖縄戦は太平洋戦争のおける1945年3月下旬より7月までの戦いを指します。米軍が本土へ時間を遅らすための引きつける役割といったいわば、時間稼ぎのための捨石作戦の場所が沖縄でした。

地上戦の場となり、 日本兵はおよそ6万6千人、米兵はおよそ1万2干人、一般住民においては9万4千人が命を落とした悲しい場所になります 。 

当初は糸数集落の避難指定壕だった

沖縄戦当初は地元住民達が避難する際の指定場所となっていました。沖縄戦が進むにつれ、状況が次第に変化していきます。

当時は糸数集落の避難指定壕としての役割がありましたが、沖縄戦が始まるに連れて日本軍の陣地壕や倉庫といった感じで利用されるようになります。その後は南風原陸軍病院の分室とといった感じの流れとなっていきます。

後に日本軍の陣地壕として使用される

糸数集落の避難指定壕として利用されていましたが、戦況が進み、地下陣地としての整備が行われ、陣地壕となりました。備蓄を行う倉庫としても使用されました。地下水もあるといったことより、陣地豪としても最適でした。 

米軍による港川上陸に備えるための球部隊の地下陣地としての役割がありました。沖縄戦時は糸数集落の避難指定壕であったものの、日本軍の陣地壕に倉庫といった感じに用途が変化しました。

戦争の激化に伴い南風原陸軍病院の分室となる

沖縄戦が激しくなるにつれ、軍医や看護婦、ひめゆり学徒隊も配属されりようになります。大きなガマの中には負傷兵で埋め尽くされるようになり、600人以上にものぼりました。

南風原陸軍病院の分室といった役割を担います。沖縄戦を象徴する場所のひとつとなりました。そんな歴史が糸数アブチラガマにはあります。

分室の更なる南下で重傷者と住民が取り残される

1945年5月25日には南部搬退命令が発令されて、南風原陸軍病院は搬退となります。糸数の住民や負傷兵は分室に取り残されるといったこととなります。その間も米軍の攻撃に耐えながら、戦況を見守るといった状況が続きます。

破傷風であったり、脳症となった重症患者がこの地に置き去りとされて、45人の住民に7人の負傷兵たちがこの間にしのぎ耐えました。  

生存者がアブチラガマを出たのは8月22日

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糸数アブチラガマでは米軍の攻撃などを受け、多くの死傷者がでたものの、ガマによって救われた命もたくさんあります。1945年8月22日には米軍によるの投降勧告を受けて、ガマに残された住民と負傷兵については糸数アブチラガマを出ることとなります。 

糸数アブチラガマの出口付近には慰霊碑もあります。戦跡を訪れた際にはぜひ立ち寄ってみましょう。糸数アブチラガマ内については写真撮影が禁止となっていますので、くれぐれも気を付けましょう。 

糸数アブチラガマの内部は?

糸数アブチラガマの内部はおよそ270mほどの広さとなっており、当時は600人ほどが避難していました。沖縄戦の際に起きた米軍による火炎放射攻撃による後も当時のまま変わらずに残っています。

内部は暗く、懐中電灯の灯りを頼りに進んでいきます。当時の人々の気持ちを考えるとつらく、苦しいといった雰囲気をしっかりと感じ取れる場所となります。

全長約270mの細長い洞窟

南城市玉城字糸数の自然洞窟でもあるガマは全長がおよそ270mほどとなっており、沖縄戦当時は負傷者や住民が600人ほど避難していました。軍医や看護婦、ひめゆり学徒隊といった人たちが配属されました。

沖縄戦の悲惨さを直接感じることができ、当時の人々のつらい気持ちを感じ取ることができる貴重な場所となっています。戦争の歴史に触れてみませんか。

ガマの内部には水源があり、発電機なども持ち込まれました。軍専用となる慰安所もあり、軍人は一番奥の部分を利用していたといったこともあり、住民は出入口付近の危険な部分を利用するといった感じとなっていました。

多くの犠牲者が出て、悲しい歴史を物語る戦跡となっています。 現在は管理や整備が行われており、ほぼ全域が公開されているといった内容です。 

ライトを消して戦時中の真っ暗闇を体験できる

糸数アブチラガマについては湿気はかなり感じられるのの、ひんやりとした感じもあり、夏は涼しさが感じられ、冬は暖かいといった特徴がありました。ですが、真っ暗闇となっており、恐怖感がある場所でした。

暗闇となっている場所は撤退命令があった5月25日以降に、重症患者が青酸カリを持たされて置き去りにされてしまった場所と言われています。 

内部の見学を行う際にはガイドが必要となっておりガイド料は1,000円からとなっています。内部は真っ暗となっているので、懐中電灯についても持参するようにしましょう。貸し出しも行っており、その際は100円が必要です。 

当時は灯りもなく、真っ暗の状態で過ごしていました。当時の人々の恐怖感を感じられずにはいられない場所となっています。

入り口は狭く足下は滑りやすい

現在利用ができる糸数アブチラガマの入り口は見学用に作られたものとなっていますが、入り口は狭いので注意が必要です。手すりにしっかりとつかまらないと足元をとられることもあります。非常に険しい階段を下っていきます。

入り口の天井も低いうえ、懐中電灯を使いながら暗闇の中を進んでいくといった感じです。日本軍により積み上げられた石壁に自然洞窟の天井より滴り落ちる水滴といった感じに殺風景な感じとなっています。 

糸数アブチラガマの内部はすべりやすい箇所もあるので、移動の際は注意が必要です。危険個所だけではなく、ビンの破片などもあるので、運動靴やスニーカーなどの靴のほか、手袋にヘルメット、懐中電灯などがあると便利です。

暗く静かで、悲しいといった雰囲気が漂ってくる場所となっています。当時の人々の気持ちを強く感じることができます。

糸数アブチラガマへのアクセス方法

那覇空港
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糸数アブチラガマへのアクセス方法についても紹介していきます。車またはバスにてアクセスが可能となっています。やや距離がありますので、時間に余裕を持って出かけられることをおすすめします。

沖縄戦の歴史を探ることのできる貴重な場所となっており、戦争体験のガイドなども聞きながら、スポットを巡ることができます。

那覇空港から車で約30分

那覇空港
Hyougushi

県道86号線には南部観光総合案内センターの看板があるので、目印として車で向かいましょう。南部観光総合案内センターより糸数アブチラガマの入口までは徒歩3分ほどの距離です。洞窟内を案内する地図や概要説明がなされている案内板を目印に進みましょう。

那覇バスターミナルより市外線51系統(百名船越線)もしくは53系統(志喜屋線)のバスを利用し、60分となります。その後、糸数入口バス停下車にて徒歩10分です。 

住所

沖縄県南城市玉城糸数667-1

電話番号

098-852-6608 

営業時間・定休日

9:00~18:00・無休

駐車場の有無

アクセス

那覇バスターミナルより車で60分 

公式URL

http://abuchiragama.com/ 

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糸数アブチラガマで沖縄戦の歴史を学ぼう

南城市
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糸数アブチラガマでは、沖縄戦の際に負傷兵がたくさん取り残され、息絶えたといった悲しい歴史があります。戦争の悲しい歴史を繰り返さないといった意味でも大切な役割を担っています。悲しい歴史を象徴する貴重な場所です。

沖縄戦の歴史を知り、学び戦争の悲劇をしっかりと感じ取ることができる貴重な場所です。沖縄にお出かけの際にはぜひとも立ち寄ってみましょう。

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