平等院鳳凰堂は京都の世界遺産!仏像の見どころ情報や歴史を紹介
平等院鳳凰堂は1994年に世界遺産に登録された古都京都の文化財の一つです。その稀有な建築と優美さで国内だけでなく世界中の観光客を惹きつけています。10円や1万円といった硬貨や紙幣のデザインとしてもなじみ深い平等院鳳凰堂についてご紹介します。
目次
世界遺産!平等院鳳凰堂について紹介
平等院鳳凰堂は平成24年から大修理が行われ、柱や扉などが赤茶色の顔料「丹土(につち)」で塗りなおされ、また屋根の上の鳳凰が金箔を施されました。化粧直しの終わった現在は、平安時代のたたずまいがよみがえり、美しさもまた格別です。
平等院鳳凰堂が建つ宇治は、かつて古代天皇家の別荘や宮殿が数多く造営された場所です。古くから宇治周辺の美しさに惹かれた貴族たちが集まっていたことは紫式部の「源氏物語」宇治十帖の場面にも描かれています。
そして平等院もその一つですが、全国的に見ても非常に珍しい建築物であり、その美しさに惹かれて世界中から人々が集まってきています。それでは世界遺産の平等院鳳凰堂についてみていきましょう。
住所 | 〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116 |
---|---|
電話番号 | 0774-21-2861 |
営業時間・定休日 | 【庭園】900~1700(最終受付1645) 【鳳凰堂内部拝観】950~1550(各回定員20名) 受付900~先着順により無くなり次第終了 【平等院ミュージアム鳳翔館】900~1700(最終受付1645) 年中無休 |
拝観料 | 【庭園+ミュージアム】 大人 600円 中高生400円 小学生300円 【鳳凰堂内部拝観】 一人当たり300円の志納 |
アクセス | 京都駅よりJR奈良線(みやこ路快速17分)「宇治駅」下車徒歩10分 |
駐車場の有無 | 無し |
公式URL | https://www.byodoin.or.jp/ |
平等院鳳凰堂の歴史について
日本最大の面積を誇る琵琶湖から流出する唯一の川である瀬田川は、宇治付近では宇治川と呼ばれています。滋賀県全域の流水が流れ込む川で流水量が多いため昔から下流では洪水も多く、アユ漁も盛んでした。
日本三大古橋に数えられる宇治橋は大化2年(646年)にかけられ、朝廷が交通の要衝としていた場所です。宇治橋のなかほどに突き出た三之間は、豊臣秀吉が茶の水をここから汲ませたといわれる有名な場所です。
歴代の権力者も見逃さなかった、宇治盆地と宇治川に囲まれた閑静な自然のなかに平等院鳳凰堂はあります。
源融の別荘が受け継がれ藤原道長の別荘「宇治殿」となる
平等院は、平安時代初期の貴族、源融(みなもとのとおる、嵯峨天皇の皇子、822-895)が持つ別荘でした。源融は紫式部「源氏物語」の主人公光源氏のモデルの一人といわれています。鴨川沿いに豪邸河原院を持ち、その生活は大変華やかで話題に事欠かなかったということで、まるで光源氏のようですね。
持ち主はその後宇多天皇、その孫の源重信と変わり、さらに藤原道長の別荘「宇治殿」となりました。
藤原頼通が宇治殿を寺院に改めたのが「平等院」
藤原道長といえば、3人の娘を一条、三条、後一条天皇の后とし、そして生まれた後一条、後朱雀、後冷泉3代の外戚として摂政・関白を独占し、権勢をふるった藤原氏の全盛期をつくりだしたその人です。
藤原文化といって、藤原道長、頼通の摂政・関白時代は大変優雅な貴族生活が繰り広げらえ、浄土教が進行しました。同時に、遣唐使中止によって中国との行き来がなくなると、唐風文化が衰退していきます。
これにより、日本風(国風)の貴族文化が花開くこととなり、その影響は多方面に表れました。そして1052年、道長の子藤原頼通が宇治殿を寺院に改めました。
1053年に現在の「鳳凰堂」が建立
藤原文化のころは、一種の終末論が広がっていました。そこで、貴族たちは豊富な資産をもとに極楽往生を願いつつ、阿弥陀如来をご本尊とする仏堂を建立したのです。
藤原頼通もやはり例にもれず、1053年に阿弥陀堂(阿弥陀如来を本尊とする仏堂)を造営して、極楽浄土を願いました。これが平等院鳳凰堂としていまに続く仏寺となっています。
平等院鳳凰堂の見どころ3選【仏像編】
藤原文化の影響は仏像彫刻にも大きな影響を与えました。それまでの唐風を脱却した、国風の仏像ともいえる作風が主流となりました。
仏像の御顔は丸みを帯び、優美、柔和な雰囲気をもつものへと変化しました。当時の代表的な仏師であった定朝のように、という意味で「定朝式」などと呼ばれるものです。
①仏師定朝作鳳凰堂の「阿弥陀如来坐像」
定朝式と呼ばれる仏像の潮流を生み出した平安時代最高の仏師、定朝。こちらの阿弥陀如来立像は、数ある定朝式ではなく、定朝によって制作された、まさに本物です。1053年に納められました。日本独自の寄木造りの最も完璧な姿といわれ、大変美しく、国宝に指定されています。
②52躯もの像が魅力「雲中供養菩薩像」
長押の壁の上に並べられている52躯の菩薩像は、浮き彫りのようでまるで本当に浮かんでいるように阿弥陀如来を囲んでいます。踊ったり楽器を奏でたりするその姿は、まるで極楽浄土です。その一体一体を見入ってしまう、それぞれが特徴を持っています。
輪光を背負い、飛雲にのる姿はどこか親しみ深く、音色が聞こえてきそうなその姿に、思わずお気に入りを探したくなってしまいます。藤原氏が浮世を嘆いてはこの阿弥陀堂で癒しを得ていた様子が目に見えるようです。
③平安時代に造られた「十一面観音立像」
観音堂のご本尊であったもので、重要文化財に指定されています。十一面観音とは、全方向にお顔があることで、苦しんでいる人の顔を見つけるのだといいます。柔和な表情で見る人を救い上げてくれる観音様です。
後ろに大笑面(悪行を笑い飛ばして改心させる)というのがないのはこちらの観音像の特徴で、珍しいものです。
平等院鳳凰堂の見どころ3選【建物・景色編】
平等院の美しさは何といってもその優美な伽藍です。中堂に阿弥陀堂があり、南、北、西に廊があります。廊は翼を広げた不死鳥のように広がり、この大規模な建築は日本や世界中をみても他には見当たりません。当時は宇治川をはさんで西岸にあたるこの地を彼岸とし、西方浄土として崇められました。
①水面に浮かぶ美しさを持つ「鳳凰堂」
池の中島に建てられている鳳凰堂は、水面に映り込むときまさに極楽浄土の美しさを体現しています。鳳凰堂を正面からみると、左右の伽藍が長く伸びて鳥の羽ばたく様子のようにみえることや、屋根上に一対の鳳凰が飾られていることから鳳凰堂と呼ばれるようになりました。
②重要文化財に指定されている「観音堂」
平等院が創建された当時本堂があった場所に、鎌倉時代前期に建立されたのが観音堂で、十一面観音立像が納められていました。天平時代の様式を倣いつつも簡素な建築物となっています。
③浄土の世界を感じられる「庭園」
平等院の建物は非常に印象的ですが、当時の極楽浄土とする考え方は、庭園を含めての平等院だったといわれています。鳳凰堂を取り囲む阿字池や東を流れる宇治川、対岸の山々などを見渡して、当時の人々の西方浄土を感じてみてください。
平等院鳳凰堂の御朱印情報
最近人気が高いのが御朱印です。平等院では集印と呼び、集印所で授けていただけます。集印料は300円で「鳳凰堂」「阿弥陀如来」の2つから選ぶことができます。
一つ一つ心を込めて手書きしていただくものです。9:00~17:00の受付となっていますが、時間を待たずに終わることもあります。また、御朱印あつめは最近は老若男女に人気が高くなっています。
観光客が多いシーズンは特に混むことが予想されます。御朱印を忘れてしまった、ということにならないように、お参りを済ませたら早めに集印所に行くことをおすすめします。
御朱印を書いていただくときの瞬間は、また特別です。御朱印帳にはほかの寺院のものと合わせて持ち歩くことができます。昔の人の極楽浄土へのあこがれを想像しながら、一文字一文字をじっくり眺めてみてはいかがでしょうか。
平等院鳳凰堂で素敵な歴史を堪能しよう!
装いも新たに創建当時の雰囲気が戻った平等院鳳凰堂。宇治川にかかる朝霧橋や宇治橋、宇治橋のたもとの紫式部の像を巡り、対岸の宇治神神社なども散策でき、観光に大変便利なエリアとなっています。
この地で展開された歴史や当時の貴族の生活や文化などに想いを馳せつつ、素敵な京都の旅を楽しんでみてください。