三十三間堂の仏像の数は何体?名前・種類・千手観音像についても紹介
三十三間堂は京都でも有名な観光スポットで仏像の数の多さでも知られています。ずらりと並んでいる仏像には圧倒されますが、顔も異なる特徴があります。必ず自分の知り合いに似た顔の仏像があるそうで仏像の数や名前、特徴など三十三間堂の仏像について紹介します。
目次
三十三間堂の仏像について紹介!
三十三間堂は、「通し矢」が行われていることでも知られ、三十三間堂の名前で親しまれています。蓮華王院本堂が正式な名前です。お堂にはずらりとたくさんの仏像が並んでいますが、どれだけの数と種類の仏像があるのでしょうか。
それぞれお顔が異なっている千手観音さまです。三十三間堂に安置されている仏像の種類、どのように配置されているのか、数や名前などそれぞれ詳しく紹介します。
三十三間堂の歴史について
三十三間堂は正式な名前を蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)といいます。もとは平安時代後期に院政で国を治めていた後白河上皇が、皇室のための別邸として建てた法住寺殿が始まりです。その敷地の一角に建てられたのが今の三十三間堂で、東側には後白河上皇が眠っている法住寺陵があります。
平安時代後期になり、平清盛が私財を投じて蓮華王院を建立しました。創建当時は五重塔などがあり、外装は朱色で、内装は極彩色で派手な寺院でしたが、残念なことに火事で焼失しています。三十三間堂の名前の由来は、東方向を向いて南北に長い本堂の柱の数、間数が33あるところから呼ばれるようになりました。
三十三間堂の仏像の数は何体?
三十三間堂に安置されている仏像の種類で最も数が多いのが千手観音像で1,001体で、守護像が28体と風神雷神像があります。本尊が千手観音菩薩坐像の数を合わせ1,032体です。種類では千手観音像が多く安置されています。
木像千手観音立像は造られた時期ですが平安時代が124体、鎌倉時代が876体、室町時代が1体で中には国宝に指定されている仏像もあります。
国宝に指定されている仏像は下記の通りです。
・千手観音菩薩坐像
・風神・雷神像
・二十八部衆像
・木像千手観音立像1001体
三十三間堂の仏像が多い理由
後白河法皇は「千の手によって無数の願いを叶え、救う」とされることから千手観音の仏像を千体作りました。「千」は無限を表わし千体ある仏像からは、無限の慈悲が与えている考えられています。
千手観音には40本の手があり、それぞれ25の救いの働きがあって40×25=1000は「千」の数の救いがあるということです。
三十三間堂の仏像の中に自分の顔がある?
三十三間堂には1,001体の千手観音の像がありそれぞれ表情にも微妙に違いがあります。たくさんある仏像からは、自分と同じ顔か似ている仏像があるといわれていますが、千手観音像の顔を全部見るのは普通の人には難しいです。
奥の方にある仏像の顔は遠すぎてはっきりと顔の表情の種がわかりません。視力のよい人でも仏像の種類は分かっても全部の仏像の顔を見るのは難しいです。
三十三間堂の仏像の種類や名前は
三十三間堂は南北に長く120メートルもあり、その中に1,032体の仏像が安置されています。仏像の種類や名前をそれぞれ詳しくみていきましょう。
千手観音菩薩坐像
国宝にも指定されている三十三間堂のご本尊です。正式な名前は、千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)といいます。1,000体の国宝千手観音立像の中心にあり、檜寄木造りの観音さまで高さは約330センチメートルあります。1254年運慶の長男の湛慶が作った仏像です。
千手観音立像
中央にある国宝の千手観音を中心にひな壇が左右に10段設けられています。一段に50体の数の千手観音が並び、両手を合わせ合掌のポーズをとっています。平穏な心、静かな心、堅実心を表しているポーズです。
風神・雷神像
三十三間堂の国宝風神と雷神の像は、京都にある建仁寺の俵屋宗達作「風神雷神図屏風」のモデルになったことでも知られています。日本にある風神雷神像の中で、最古の貴重な木像です。
2018年7月、84年ぶり(前回1934年)に国宝風神と雷神像、二十八部衆の配置が改められました。創建当時の配置を再現しており、風神と雷神の左右の位置が入れ替わっています。風神と雷神の姿は古来の自然信仰や伝説に基づいて造られたもので、風神像は風袋を背に担ぎ、雷神は小太鼓を連ねた輪を背負っています。
二十八部衆像
国宝二十八部衆というのは、千手観音を信仰する人をお守りする28人の神様です。四方に4人、上下に4人、東西南北に各1人配置され、それぞれ500人の部下を持っています。千手観音二十八部衆、観音二十八部衆とも呼ばれています。像の種類と役割を紹介します。
那羅延堅固 (ならえんけんご) | 力自慢の神様 外からくる敵の侵入を守るガードマンの役目 |
大弁功徳天 (だいべんくどくてん) | 幸福をもたらす神様 とても美しい女性の仏さま |
緊那羅王 (きんならおう) | 歌の神 美しい歌で人々を魅了する神様 |
金色孔雀王 (こんじきくじゃくおう) | 武闘派の神様 毒蛇を食べる孔雀が神格化したもの |
大梵天 (だいぼんてん) | お釈迦さまをまもる存在 お釈迦さまの教えを広げる中で重要な役割をした神様 |
乾闥婆王 (けんだつばおう) | お酒を守る神様 神様が嗜むお酒は治癒の役目のある大事な薬ということから薬を守る神様とも呼ばれている |
満善車王 (まんぜんしゃおう) | 観音菩薩の親族 何をしようとしている姿なのか謎多い仏さま |
沙羯羅竜王 (しゃがらりゅうおう) | 蛇を神格化させた仏さま 蛇=竜と考えられています |
金大王 (こんだいおう) | 悪いことをもたらす敵をやっつけるため三鈷杵という武器を持っている神様 別名:宝顕夜叉(ほうけんやしゃ) |
金毘羅王 (こんぴらおう) | ガンジス川にすんでいるワニを神格化した水神 別名:宮毘羅(くびら) |
五部浄居天 (ごぶじょうごてん) | 上天下界を支配する神様 礼法や治法などを司る仏さま |
神母天 (じんもてん) | 改心して仏教の守護神となったエピソードを持つ仏さま 別名:鬼子母神(きしもじん) |
東方天 (とうほうてん) | 東の方角を守る神様 別名:持国天(じこくてん) |
毘楼勒叉天 (びるろくしゃてん) | 南の方角を守る役目を持っている神様 別名:増長天(ぞうちょうてん) |
毘楼博叉天 (びるばくしゃてん) | 仏教界に侵入することを防ぐ四方を守る神様 別名:広目天(こうもくてん) |
毘沙門天 (びしゃもんてん) | 北の方角を守る神様 財宝や福徳を招く仏様 |
迦楼羅王 (かるらおう) | 仏教を守る神様 獰猛な鳥が神格化した姿をしたもの |
摩和羅女 (まわらにょ) | 大地を神格化したもの、地神 大地の堅牢さ・万物を生育させる恵みをあらわす神様 |
難陀竜王 (なんだりゅうおう) | 水の神様 竜王にして風雨を司る神様 |
婆藪仙人 (ばすせんにん) | 千手観音のお供だった仙人 仏教における護法善神 |
摩醯首羅王 (まけいしゅらおう) | シヴァ神が仏教に取り入れられたとても偉い神様 別名:大自在天(「だいじざいてん) |
畢婆迦羅王 (ひばからおう) | 薬師如来のけらいで十二神将のうちの一人 仏法を守護する神様 |
阿修羅王 (あしゅらおう) | 武闘派の神様 仏教を守る役割がある |
帝釈天 (たいしゃくてん) | 戦いに強い戦闘の神様 お釈迦様を守る役割がある |
散脂大将 (さんじたいしょう) | 大弁功徳天(吉祥天)の兄 音楽、弁才、財福、智慧の徳がある |
満仙王 (まんせんおう) | ガードマンのような役割 天狗のような、河童のような鼻の高い、仏教の仏さまとはいえない顔が特徴 |
摩睺羅王 (まごらおう) | 5つの眼を持ち頭にヘビを巻きつけている仏さま 仏教を守護する役割がある |
密迹金剛 (みっしゃこんごう) | 金剛杵という武器を持って仏教を守る守護神 別名:執金剛神(しゅこんごう) |
三十三間堂の仏像の配置について
三十三間堂の仏像は整然と並んでいます。仏像の配置はが、中央が本尊の千手観音座像です。中央に段が設けられ蓮華座に座る形になります。千手観音像を中心に四天王が取り囲み、左に500体、右に500体、千手観音像の前には二十八部衆、その両端には国宝風神・雷神の仏像です。
本尊である千手観音像の裏側にも1体千手観音が祀られ、すべての種類の仏像が配置されることになります。
三十三間堂の不思議
三十三間堂の周辺には不思議が11あり、三十三間堂の境内にも不思議が残されています。三十三間堂に残されている不思議を紹介します。
不思議①:頭痛が治るという「棟木の柳(むなぎのやなぎ)」
ひどい頭痛で悩まされていた後白河法皇が熊野詣での際に、前世は蓮華坊というお坊さんで、蓮華坊の頭蓋骨が岩田川の底に沈んでおり、柳の木が頭蓋骨を貫いて生え風が吹くと柳の木が揺れて、法皇の頭が痛むのだとお告げを受けました。
岩田川を調べると頭蓋骨が見つかり、千手観音像に納めて柳の木を棟木にしたところ、法皇の頭痛が治ったといわれています。
不思議②:夜泣き封じに御利益あり「夜泣泉(よなきせん)」
水の湧き出る音が子供の夜泣きする、すすり泣きに似ているところから名前が付けられました。お地蔵さまによだれ掛けを奉納し、一週間後によだれ掛けを持って帰って子供枕元の下に敷くと夜泣きが治るといわれいます。
不思議③:南無阿弥陀仏が刻まれた「法然塔」
1204年に土御門天皇が後白河法皇の十三回忌を「六時礼讃」法要を法然上人が行ったとき、南無阿弥陀仏を書写して、人々に与えました。その文字石に刻まれ名号石とも呼ばれています。
三十三間堂の場所や営業時間・アクセスについて
三十三間堂はどこにあるのか、営業時間やアクセス方法を詳しくみていきましょう。
三十三間堂の住所と営業時間
三十三間堂の住所は京都府京都市東山区三十三間堂廻り657です。営業時間は8時から16時30分ですが、11月16日~3月31日 の間は9時から15時30分までになります。
住所 | 京都市東山区三十三間堂廻町657 |
営業時間・定休日 | 8時~17時(11月16日~3月は9時~16時)受付終了は30分前・年中無休 |
入場料 | 一般600円・高校中学400円・子供300円 |
公式URL |
三十三間堂へのアクセス
JR京都駅より市バス100・206・208系統10分でバス停「博物館三十三間堂前」下車してすぐです。京阪七条駅より 徒歩7分 で三十三間堂に到着します。
三十三間堂と一緒に廻るべき観光スポット
三十三間堂の周りには有名な観光スポットがあります。一緒に廻るべきスポットを紹介します。足を運んでみてはいかがでしょうか。
京都国立博物館
日本に四ヵ所しかない独立行政法人が運営する国立の博物館です。120年以上の歴史がある京都国立博物館では、京都に都が置かれた平安時代から江戸時代まで京都の文化を中心に文化財を収集、保存、管理され、さらに文化財に関する研究や普及活動を行っています。
第二次世界大戦の空襲の被害もなく、貴重な文化財は「平成知新館」「明治古都館」野外展示がされている「東の庭」「西の庭」、ロダンの考える人が展示されている「噴水エリア」で展示されています。見どころは「平成知新館」に展示されている国宝の「多聞天立像」と「五智如来坐像」です。
「五智如来坐像」は五体揃っている仏像のなかでは、最も古いといわれています。その他に絵巻や仏画など、さまざまな時代に描かれた絵画も鑑賞でき、絵巻は絵本に近いものがあり、子供でもわかりやすいです。平常展示のほかに年に2~4回特別展が開催されています。
夕方になるとバロック様式の建物が浮かぶようなライトアップがされています。
住所 | 京都市東山区茶屋町527 |
営業時間・定休日 | 火~木・日曜日:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)金・土曜日:午前9時30分~午後8時(入館は午後7時30分前まで) |
入場料 | 一般:520円 大学生:260円 |
公式URL |
建仁寺
建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山で、1202年将軍源頼家が寄進し栄西禅師が開山とし創建された当時は、「天台・密教・禅」の三宗兼学の道場でした。建仁寺の名前は元号を寺号として付けられています。応仁の乱で、建仁寺の伽藍は焼けてしまいました。
その後天正年間に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興され、さらに徳川幕府の保護を受け明治になり、臨済宗建仁寺派として独立して大本山として現在に至っています。建仁寺は大きな伽藍と庭園が美しいお寺で、残念ながら創建当時の建物は残っていませんが、多くの種類の展示物は複製品なので、いくつかは写真の撮影ができます。
建仁寺の見どころは、「風神雷神図屏風」の複製の展示です。屏風の複製は重要文化財の方丈で展示されており、オリジナルは京都国立博物館で保存されています。風神雷神図はもとは1639年に妙光寺に奉納されたのですが、その後建仁寺に寄贈されました。建仁寺に戻ると雷鳴が響くという言い伝えが残されています。
住所 | 京都市東山区大和大路通四条下る小松町 |
営業時間・定休日 | 午前10時~午後5時 年中無休 |
入場料 | 一般:500円 中高生:300円 小学生:200円 小学生未満のお子様は無料 |
公式URL |
三十三間堂には国宝と重要文化財がいっぱいある
創建当初の三十三間堂は極彩色のそれは素晴らしかったことでしょう。この世に極楽浄土を作りたかったのでしょうか。平安時代の創建から鎌倉時代には後嵯峨上皇、室町時代には足利義政、戦国時代では豊臣秀吉までもが造営に携わってきたお寺です。
創建当時からとその時代の権力者の庇護を受けているのも頷けます。120メートルあるお堂に、たくさんの種類の仏像がずらりと並んでいる姿は本当に圧倒されます。自分に似た顔の仏像を探すのはちょっと困難かもしれませんが、ぜひチャレンジしてみてください。